因果輪転2024
この日はいつだって気が滅入る。
「今年こそは──」と何年言った?
「来年こそは──」と何年言う気か?
自分のことは自分がよく見えない。
見えているものが本当ではないかもしれない。
現状維持では後退するばかりである。
昨年の私は何者でもないままだった。
今年は何者かになれるだろうか。
何者かになったとして、どうなるのだろうか。
だが私は何者かにならなくてはならない。
より多く畏怖を書く。
そして届ける。
より多く悪意を書く。
そして隠す。
より多く呪詛を書く。
そして呪う。
西暦が変わって何が変わる?
過去がどんどん遠くなる。
罪からの距離は変わらない。
「逃げることはできない」
そう言いつつも逃げている。
そう言いつつも呪うしかない。
2024の終わりは、きっと、
呪いで満たされていることだろう。
2024の始まりは、きっと、
何も変わらないはずだったのに。
変わらないはずの今日を揺るがした、
あの忌まわしき出来事さえ、
遠い場所の誰かにとっては、
誰も知らない誰かにとっては、
ほんの少しの小さな恐怖なのだ。
私はそれが怖ろしかった。
怖ろしいと思うだけで、何もできなかった。
醜い妄想論者を電脳海から排除しただけ。
ただそれだけでは、何も救われやしないのに。
得体の知れない、忌々しい、不気味な、
やるせない、醜い、歯がゆい──そんな感情。
それでも日は沈む。
誰の為でもなく。
それでも陽は沈んだ。
私の為ではなかった。
世界は変わっていく。
しかし世界が良くなることはない。
私は変わってしまった。
しかし私が良くなったわけがない。
輪転する因果。
私の世界は暗転するかもしれない。
呪う私が呪われても、それでも呪う他ない──
2024年1月1日 薊詩乃
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