中学校時代 気づくまでずっと最悪



intro

私は姉と同じ、地元中学に進学した。
うちの中学では原則、全生徒が何らかの部活動に所属する。

入学するまでは陸上部に入ろうかと考えていたが、友人の付き添いで吹奏楽部を見学したときに、圧倒され、感動したため、そこに入部を決めた。

ちなみに姉は女子テニス部と生徒会でブイブイ言わせていたが、姉というものさしを手放した私は、姉と同じことをしなくなった。
一人で挑戦できるようになったという成長か、もしくは、同じフィールドで張り合っても姉には勝てないことを、ようよう理解したのかもしれない。

担当楽器はクラリネットだ。
音やフォルムに惹かれたのもあるが、ひとつ上の先輩が全員知り合い(姉の友人)だったことも、このパートに希望を出した理由の一つだ。
姉の後を追うことで安全を手に入れることは減ったものの、こういったところで姉の恩恵を受け、得をしていたことは否めない。



ところで吹奏楽部は、文化部の中ではかなり運動をする部だった。
陸上部に入りたいと言っていたのは走りが速くなりたかったからで、むしろ私は運動が得意ではなかった。

吹奏楽部が行う運動の中でも、特に腹筋(上体起こし)がすごく苦手だった。
そのため毎週末、めっちゃかわいい先輩方に「頑張って、あと五回!」などとかわいく回数をカウントされながら、既に回数をこなした全部員の注目を集めつつ不格好に腹筋をするという地獄のフェーズがあった。これは、今も定期的に思い出すくらい恥ずかしかった。

初めは何も上手くできない私は、こうしたことも恥ずかしくないフリ、気にしていないフリをして伸び伸びできるという長所がある。私は自分のできなさを特に気にしないことにし、何事も深く考えずへらへらと部活動に勤しんだ。

この「何も考えない」という守り方が、最悪さに繋がっている。

二人目の神様

吹奏楽部で、私は神様を見つけた。
姉以外で初めての、ついていく対象だ。
それは別パートの同級生で、隣の小学校出身の人だった。彼女を仮にNさんとする。

Nさんは、ピアノを弾くのがすごく上手だった。服がオシャレで、お裁縫をしたり可愛い絵を描いたりするのが上手だった。
私はその辺がかなり苦手だった。ピアノは9年やったが上手に弾けなかったし、家庭科のりんごの皮むきテストがクラス最下位だったくらい手先が不器用だった。そして、美的センスが悪かった。

私にできないことをできるってすごい。
私はNさんを尊敬し、本当に大好きになった。

私の中学3年間は、Nさんのことが大好きだった期間と言っても過言ではない。

姉という神様を手放した私は、次に別の神様を見つけ出して、崇拝した。そうせずには生きていけないとでも言うように。
素敵なことに、Nさんは姉ではないため、自分と比較して惨めになる必要がなかった。私は存分にNさんを尊敬することができた。


もしNさんが異性だったならば、私のNさんへの気持ちは簡単に恋だと言われていただろうが、同性相手だったので誰からも何も言われなかった。
思い返すとあの感情の大きさは、友人に対するそれを超えていたのだが。

ただどちらにせよそれは一方的な想いで、Nさんは私のことをそんなに好きではなかったと思う。
彼女にとってみたら、迷惑だったかもしれない。信者でも妹でもない人間にずっとまとわりつかれていたのだから。

迷惑をかける

中学生の私は、Nさん以外の人にも沢山の迷惑をかけて過ごした。
今以上に最悪なので、思い出したくもないし、誰も知りたくもないだろうが、今後の自分のために文字化していく。

基本的に気が遣えなかった。
自分の気持ちすらきちんと言語化できていなかったので、人の気持ちがわからない。且つその状態で、のびのび過ごしていた。マジで最悪。やり直して黙りたい。やり直しても黙らない気はするが、少しはマシな振る舞いができるのではないだろうか。
当時は今より酷かった。


具体的には、ある同級生部員に「脳と口が直通」状態で思ったことを全部言って毎日喧嘩したり、「脳と口が直通」な言動のせいでまわりの人に気を使わせたりした。
思ったことをすぐ口にする、気が遣えない、というのは今でも思われているのではないか。

思ったことをすぐ言うので、わかりやすさや扱いやすさはあっただろうが、愚かさによる被害の方が大きかったと思う。
悪意が無かった分、タチが悪い。


中学生時代の自分を思い出すと、Nさんにまとわりついて迷惑をかけていたことと、頭が悪くて迷惑をかけたことを思って、かなり死にたくなる。もっと自分を客観視し、良い感じになるための努力をすべきだったのだ。

気づく

前回冒頭に「中3のある時期まで、何も考えずに生きてきた」といったことを書いた。
2年半ほど存分に迷惑をかけた私は、中3の秋頃、ついに自分や他人のことについて考え言語化することの必要性を学んだのだ。

そのことに気づくきっかけとなった出来事が、小学校からの塾友だった人にすっごく嫌われた経験だ。

その人は、鈍感な私でも気づくように、わかりやすい嫌がらせをした。私がそばを通る度に舌打ちをしたり、私が発言すると度々怒ったりした。

一体私の何がだめなのか、わかったら直せるかもしれないと思い、考えてみたものの、どうしてもわからない。私がその人を気に入らないと思っていたならまだしも、普通に尊敬していたから、思い当たるところが無かった。確かめようにも、本人は私と一生会話してくれそうもなく。
友人に相談しつつ、できるだけ嫌がらせを気にしないようにして過ごした。

嫌われ始めて数ヶ月、私はその人との間に二人知人を挟み、嫌われた理由を聞いた。
私があまりにもコロコロと主張を変えることや、人の気持ちを考えず言動するところなどが、彼を酷く苛立たせていたようだ。
その話を聞いて、私は自分の「考え無し」なところをようやく自認した。本人に悪意が無いからといって、許されるわけではないこともここで知った。

ずっと言われてきた自分の「空気の読めなさ」を、本当の意味で理解し反省したのがこの時だと思う。
わかりやすく敵意を向けられるまでその最悪加減に気づけない、鈍感さと想像力の無さと視野の狭さが、残念だった。私は自分を嫌った。

以降、私はできるだけ人に嫌な思いをさせぬよう、人から嫌われないよう、と意識し始めた。

だから、高校に入ってから別の方向にかなり最悪になったときも、中学生の頃の自分と比べたらまだマシだと思っていたため、ギリ死ななかった。



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