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#49 「江原素六の生涯」を読む(その2)

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こんにちは!総務副局長のそりだすたーです!今回から本編に入りたいと思います!

第一回はこちら


生い立ち

江原素六先生(以下、「先生」)は1842年1月29日生まれました。和暦では天保13年です。時代的には天保の飢饉などで知られている頃です。世界的には資本主義など現在につながる社会が生まれ始め、近くでは1840年のアヘン戦争で清が戦争に負けるなど、幕末の動乱が激しくなっていく時代でした。

当時の江原家は貧乏な下級武士の家でした。家業は専ら内職の房楊枝売りで、元服して独立してから先生も房楊枝売りで生計を立てました。100本ずつ束にして房楊枝売りをするときに通常は外側に良質なものを、内側に悪質なものを束ねる手法が用いられていたそうですが、先生はこの客を騙すような売り方がが気に入らず、よいもの、わるいものと品質別に分けて売るようにしたら客に喜ばれ売れ残りがなくなったというエピソードはよく知られています。

両親は武士としての教育には熱心でしたが、学問については必要性を認めませんでした。しかし先生の学問についての才能を周囲が見逃すはずはなく、伯父の説得によって寺子屋に、また転居先では塾の師の指導により当時の最高学府昌平坂学問所に進学します。

とはいえ先生は親の武士道精神も尊敬していました。先生が楊枝を売っていたころ、貧しくなかなか買う余裕がなかった稲荷鮨をやっと奮発して購入できた先生はそれを食べながら歩いていたところ運悪く父に見つかってしまいます。「武士が往来で、物を食うとはけしからん。武士の体面を汚す」と殴られ、普段は慰めてくれる母・ろく氏にもこのときはたいそう怒られたそうです。先生はとても反省し、生涯忘れまいと考えたといわれています。

ここまで先生の幼少期のエピソードをいくつか紹介していきました。次回は幕臣となった先生の紹介をしていこうと思います。


そりだすたーです。遅れてすみません!!!

編集者より


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