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新しい命

殺伐とした職場にも、たまには微笑ましいニュースが飛び込んでくる。昨日の朝出社をすると、待ってましたと言わんばかりにRさんが私のところへ駆け寄ってきた。

R:「わかりましたよ」
私:「どっち、どっち」
R:「男の子でした」
私:「わお!おめでとう」
R:「男の子はかわいいって、いいますよね」
私:「そう、そうよ!きっとね」

女親からしてみると、男の子は生涯に渡ってかけがえのない宝であり、希望であり、ナイトであり続けるものだと思っている。私の場合は姉妹の長女で、母親とはとてもいい関係性であった。買い物も一緒、料理をするのも一緒、恋愛のことも何でもお互いにお互いのことをいつもよく話した。私は母親の恋愛遍歴も、すべてを時系列で詳細まで語れる自信がある。そのくらいに何でも分かり合っていた。しかしそれと同時にお互いを意識し、時には良きライバルになることもあったように思う。そこはやはり”女同士”であり、まさに“親友”のようでもあった。

その一方で、父親や夫を見ていて感じるのは、男の子と母親の関係性はまた少し違っているように見える。私たちの年代では母親が好きだと公言する男の人は、今よりもずっと少なかったような気がする。“マザコン”をテーマにしたドラマなどの影響もあったからかもしれないが、母親への深い愛情をあまりよくないイメージで捉える傾向が強かったような気がしている。

私が父親の涙を初めて見たのは、私の祖母、父にとっては自分の母親を亡くしたその瞬間であった。父は私たち子供の目前で憚らずに、声を上げ、嗚咽しながら泣いていた。父が泣いている姿を見たのは、それが最初で最後だった。

夫の母親は今年で86歳になる。夫は次男なのだが、今は長男とともに、戸建てに一人暮らしの母親の家に毎週のように足繁く通っている。そしてなんとうちでは一切やらない買い物をしたり、料理を作ったりしているのである。そして二人ともそれをとても楽しんでいるように見えるのだ。私が夫と付き合い始めたころは、母親の文句ばかり口にしていた記憶がある。私はてっきり夫と母親はいい関係性ではないのだろうずっと長い間、誤解をしてきた。しかし、いざ結婚してみてあることに気づく。夫の母親と私が非常に“よく似ている”ことである。性格から細かな癖のようなところまで、似ていることに愕然とした。それを指摘しても夫は絶対にそれを認めようとはしない。そうした夫の心理は、私には非常に不可解極まりない。世界でいちばん好きな人間が、母親なのだということの紛れもない事実を見せつけられているわけなのだが、それはべつに隠すべきことでも何でもなく、ある意味で当然のことだと思っている。それどころかそんな夫をとても尊敬している節もある。それはもしかすると自分が母親の面倒をみることで、私に負担をかけないようにしているのかもしれないと思ったからである。私もできる限りのことはしたいと思っているが、親子だけのかけがえのない時間をできるだけ邪魔をしないよう“黒子”のように関わるように心掛けている。

さて”新しい命”の話に戻そう。予定日は6月中旬である。職場内では彼女の体を冷やさないように空調に目を配り、手渡すお菓子の成分表示を慎重に確認するのが日常的になった。出勤もフレックスで10:30となったようなので、一安心である。産後は無理をしないよう、暫くは在宅勤務になるだろう。女性の多い私たちのような職場では、将来的には保育所が導入されるような環境に整えられれば尚いいと思っている。

そういえば、我が家にも男の子がいる。三匹のやんちゃで、かわいい男の子たちがね。


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