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ヒジキ定次

すべてを失うことになっても戦わねばならない時がある。そんなことを思わせる生き様を見せた武芸者を妄想しながら、日本人しか消化出来ないという海藻を料理した記録。


材料

ひじき  1パック
油揚げ  大きいの1枚
人参   5センチ
インゲン 4本
出汁つゆ 1カップ(2倍濃縮)
醤油   大匙3
味醂   小匙1
酒    大匙1

日本剣術には三大源流あり。神道流、陰流、念流。
神道流と陰流はそれぞれ派生した剣術により形を変えながら継承されていますが、念流のみはそのまま今でも群馬県高崎市馬庭にて伝承。俗に馬庭念流と言われていますが、正式名称は念流。
念阿弥慈恩、俗名は相馬四郎義元という人物が創始者という念流。上州で伝承されるに至ったのはこの地の武士、樋口定次に始まる。


ひじきを30分、水に漬けて戻す。

樋口家はそもそも木曽義仲の家臣、樋口兼光を祖とするが、十三代の当主が上州馬庭に移り住んだことに始まる。以前は念流を修めていたが、上州で盛んに行われていた神道流に流儀を変えたという武芸の家。
その家に生まれた又七郎定次も神道流を学んだが、先祖が学んだという念流を修行してみたいと望んでいた所、友松偽庵という眼医者が馬庭にやって来る。この人物、実は念流七代目の継承者。
それを知り、定次は弟子入り。修行すること17年。熱心な稽古の甲斐あって印可相伝。慶長三年(1598)に第八代念流継承者となる。


インゲンを茹でる。

念流という剣術は自衛のための剣というのが大前提。決して自らやたらと攻撃を仕掛けて打ち倒すようなものではない。やむを得ずに戦わねばならない時にだけ使う剣術。そのために構えも後ろ足に重心を掛ける。
世はまだまだ戦乱の時代。評判を呼んで、馬庭の地には門弟が続々と集まる。


千切り人参と短冊に切った油揚げを油で炒め、出汁つゆや調味料で7分程、蓋をして煮る。

念流に限らず、日本の武術はそもそも専守防衛。攻められれば止むを得ず戦うという性質のものが多い。又、大きな特徴として決して必要以上に相手を追い詰めない。相手が参ったすれば、それ以上は追い込まない。
「参った」という言葉時代、神社やお寺に参ったということと同じ意味合いであり、相手に参ったということ。参られた者も参った者にひどいことはしない。
勝ち負けという概念が薄いということ。
念流の試合を見たことがありますが、あくまでも技比べであり、勝ち負けの判定はなし。審判役が「それまで」と言えば、それで終わり。どっちが勝ったということも言わない。
オリンピックの種目にもなり、スポーツ化した柔道は別として、剣道や相撲では勝ったからと言って喜ぶようなことはなし。礼に始まり、礼で終わる。
以前、土俵でガッツポーズして物議を醸した外人力士がいましたが、こういう思想が背景にあるからです。


ひじき、インゲンを投入して、更に煮る。

話を樋口定次に戻します。
評判になり、目立つようになってくると、絡んでくる者が出てくる。
高崎城下に村上天流という武芸者がやって来て、道場を開く。
彼はどうやら自分の武芸を売り物として、高崎の領主、井伊家への仕官を望んでいた。そのためには近隣で有名な武芸者を打倒して名前を売るのが近道。ということで狙いを定めたのが、念流伝承者の樋口定次。
散々に念流の悪口を言いふらして、定次を臆病者呼ばわりして挑発。定次自身は自重して、というよりまるで相手にせず。
しかし、門弟の一人がついに天流に打ち殺される事件発生。師の悪口に耐えかねた門弟がかかっていき、返り討ち。
こうなると、是非もなしとばかりに定次は重い腰を上げる。


いい感じに煮詰まってきた。ひじきよりも油揚げの大きさが目立つ。

まずは正式な兵法試合として井伊家に届け出て許可を貰う。その上で烏川の川原で期日を定めて決闘。
それに際して、定次は近くにある山名八幡宮に参篭。勝利を祈願というだけではなく、八幡宮の裏は山ですから、心身を鍛えるための山籠もり?
その期間は21日に及んだ。
満願の日、八幡宮から降りて来た定次は社頭にあった大岩を枇杷の木刀で心気を籠めて打った。


太刀割り石。

御覧の通り、というかどこが切り口かはわかりにくいけれど、石はかち割れた。
木刀で石を両断。普通、有り得ないと思われがちですが、私は有り得る話と思います。
ある道場で、袋竹刀と樫で出来た薙刀(刃は付いていない)とが試合。
袋竹刀の方が気合諸共、薙刀を打ったら、固い樫の木がへし折れたという話を聞いたことがあります。
一点集中で物凄い力を出すというのが、日本武術や念流の神髄というべきか。
剣豪が岩を斬ったというのもよく聞く話で、柳生に行った時、柳生石舟斎が真っ二つにしたという岩も見たことがあります。


ヒジキ定次

長年、海産物の恩恵を受けてきた日本人のみが、海藻を消化出来ると聞きます。美味しい上にカルシウムや食物繊維たっぷりなヒジキ。その栄養を吸収出来る日本人に生まれてよかった。
この油揚げはジャンボ油揚げという商品であり、出汁をたっぷり吸って食べ応えあり。人参やインゲンも彩りよく、ベータカロチンやビタミンも頂ける。

烏川で行われた試合。
天流は中に鉄棒を仕込んだ木刀を二本用意。定次はかち割りの枇杷の木刀で対峙。
電光石火に定次は木刀を振り下ろす。
天流は両手に持った鉄入りの木刀を十文字に構えて、定次の打ち込みを受ける。ところが打ち込みの勢いはまったく衰えず、受け止めた木刀ごと天流の頭を打ち込む。
天流の頭には十文字に木刀がめり込んだ。当然、即死。
「我が剣はかわすか、受け流すべきであった」
と定次は呟く。

あくまでも自衛の剣であり、他流試合を禁じていたのを自分が破ってしまったということから、定次は跡目を弟に譲って馬庭から旅立つ。
近江に行ったという師匠の偽庵の所に向かったとも言われますが、その後の消息は不明。
旅の途中で右京なる者と戦い、敗死したとも言われますが、もしかしたら天流の縁者に仇を取られた?そうだとすれば、止むを得ず戦い、勝利したものの馬庭で築き上げた人生や命まで失ったことになる。
そんなことを妄想しながら、ヒジキ定次をご馳走様でした。

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