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上泉信綱麻婆茄子

国道17号線を走っていると「前橋が生んだ剣聖、上泉伊勢守」という看板。
ちょっと気になっていたので、そこからは少し離れた所にある上泉城跡を訪ねてみました。


城跡には立派な石碑。しかし城跡碑ではなく新陰流開祖生誕地碑。

残念ながら城跡は公民館になっていて、城の遺構らしきものはなし。偶然、出会った地元の御老人に伺った話では、その方が幼少の頃には堀跡が遺っていたそうですが、墓地にするために埋め立てられたとのこと。

城跡側の西念寺(サムネイルの寺)に葬られている上泉伊勢守信綱を妄想しながら料理した記録。


材料

茄子  4本
生姜  1欠け
大蒜  2欠け
ツナ缶 1個
葱   1本
片栗粉 適量
水   適量
豆板醤 小匙1
味噌  大匙1
出汁つゆ カップ1/2 (二倍濃縮)

上杉方上泉城の城主の次男として誕生した源五郎が後の上泉信綱。箕輪城の長野氏の寄騎として活躍。
元服後の諱は秀綱。
長男の早世により城主という地位に就きながらも、剣術馬鹿というべきか、子供の頃から剣術修行に明け暮れる。
松本備前守から新当流、愛洲移香斎或いはその子から陰流を学ぶ。それだけでは飽き足らず、ついには自分の工夫を加えて新たな流派を編み出す。それが新陰流。


茄子を四等分。

剣術ばかりではなく、城主としての務めも果たし、長野一本槍と呼ばれる重臣。
この槍というのは文字通りに槍の達人という意味に加えて、槍のように重要な人物という意味合いも込められているのでしょう。戦国時代の武家の象徴は槍。

刀が武士の象徴となったのは江戸時代。それ以前は槍が象徴。更に遡ると弓矢でした。

長野氏、特に領民に名君として慕われた箕輪城主、業正は関東管領、上杉方としてよく武田信玄の侵攻を跳ねのけていました。秀綱もよくそれを支えていました。先程から「秀綱」と書いていますが、別に間違っている訳ではありません。後に「信綱」に改名。
業正の死後、跡を継いだ業盛ですが、残念ながらついに支えきれずに武田信玄の軍門に降る。


生姜、大蒜、葱を微塵切り。

長野業盛が自刃した後、武田信玄は上泉秀綱に自分に仕えるように勧める。しかし二君に仕えるのを潔しとせず、城主としての地位も捨て、これからは剣術修行、そして自らが編み出した新陰流を広めたいという希望を述べる。
その志に感じ入った武田信玄は他家に仕官しないことを条件に、この申し出を認める。
更に餞として自分の名前の一字を与えました。「信」の一字を受けて、以後は上泉信綱となる。
法号の「信玄」からか諱の「晴信」からか。


豆板醤と味噌を出汁つゆに混ぜる。

信玄に仕えると答えていれば、城主としての地位も保てたかもしれず、武田家中でも出世出来たかも?しかし、そうした目先の利益よりも本当に自分のやりたいことをするために、すべてを捨てる。なかなか出来ることではない。
どうやって飯食うの?とか考える凡人ならば、不安になりそうなものです。
それでも信念に真っ直ぐな信綱、二人の弟子と共に新陰流を広める旅に出る。この時、御年55歳。人生五十年と言われた時代。もはや死んだ気になって新たな人生に向かおうという心意気。


香味野菜を炒めて香が立ったら、茄子を投入。

武将として信玄に仕えるのを断った理由として、戦国の習いである人殺しに嫌気が差したのかもしれません。というのも信綱が開いた新陰流の極意は活人剣。無闇に人を殺す剣ではない。更にその思想がよく現れているのが稽古道具。
割れ竹を皮袋に包んだ棒を、木刀や刀の代わりとして稽古。
木刀や刀では大怪我の恐れどころか殺してしまう可能性。それを気にせず、大した怪我もせず、思い切り剣術稽古をするために考案。現代の竹刀の原型。


茄子に油が回ったら、調味液とツナを汁ごと投入。

伊勢国に北畠具教という剣術好きの大名。その元へ行った信綱。大和国の兵法家二名を訪ねてみよと紹介される。宝蔵院胤栄と柳生宗厳。
胤栄は僧侶でありながらも槍術の達人。
柳生宗厳は後の石舟斎。つまり柳生新陰流の祖。
まだ若い宗厳、信綱に試合を望むが、まずは弟子と試合をと勧められて、信綱の弟子、疋田豊五郎と三本勝負。しかし三本とも取られて、宗厳完敗。
弟子にすら敵わなかったということから発奮した宗厳、新陰流の稽古に励む。
信綱は宗厳に「無刀取り」の技を完成させよと宿題を残して上京。
そこで出会ったのが丸目蔵人佐。↓

詳しい経緯は↑を御覧いただくとして、弟子とした蔵人佐と共に剣豪将軍、足利義輝の御前、そして正親町天皇の御前でも兵法上覧。
これにより、従四位下という官位を頂き、天皇御愛用の文机も拝領。


水溶き片栗粉を投入して、とろみを付ける。

大いに面目を施して、新陰流の名前も大きくなった信綱、大和、柳生庄に戻り、宗厳に宿題の成果を問う。
見事に「無刀取り」を完成させていた宗厳。
これは所謂、真剣白刃取りのようなことではなく、相手の手首を抑えるという技とか聞きます。振り下ろされる刃はほぼ見えないが手なら見える。
転じて武器を使わずとも相手を制する技や工夫というべきか。この辺りが活人剣と言われる所以。


上泉信綱麻婆茄子

挽肉の代わりにツナ、醤油の代わりに出汁つゆを使ったことで柔らかな味わい。豆板醤の辛みも柔らかく包み込まれた気がする。
茄子の皮にはナスニンという抗酸化物質。皮ごと料理したので、すべて頂けます。
お好みで花椒を加えると、より麻婆っぽくなります。なくても十分な味わいですが、刺激が欲しい方へのお勧め。

宗厳の工夫に感じ入った信綱、新陰流の道統を宗厳に譲る。これで新陰流は柳生家に受け継がれることとなり、現代にまで続く柳生新陰流が誕生。
剣術ばかりではなく現代の剣道にも大きな影響を与えたと言える上泉信綱を妄想しながら、上泉信綱麻婆茄子をご馳走様でした。


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