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スープカ烈堂義仙

北海道発祥?のスープカレー、ふと作ってみたくなった。思わぬアクシデントもあったが料理しながら、柳生宗矩の末息子、烈堂義仙を妄想した記録。


材料

玉葱       1/4
人参       1/3
カリフラワー   半分
ピーマン     1個
サヤエンドウ   適当な数
ジャガイモ    2個
ズッキーニ    半分
大豆肉      6個位
ターメリック   大匙1
クミン粉     大匙1
コリアンダー粉  大匙1
ナツメグ     小匙1
シナモンスティク 1本
丁子とカルダモン 小匙1
ケチャップ    大匙1
お好みソース   大匙1
出汁つゆ     カップ1
唐辛子粉     小匙半分?
大蒜       2欠け
生姜       1欠け

酢        大匙1ともっと
蜂蜜       自分の判断で

野菜は冷蔵庫に残っている物をあれこれと入れる。
また、酢と蜂蜜の量がファジー。唐辛子粉の分量に?と付いていますが、理由は後程。

将軍家剣術指南役にして大目付となった柳生但馬守宗矩には四人の男子。
長男が十兵衛三厳、次男が友矩、三男が宗冬。末っ子が烈堂。
烈堂のことを語るには、まずは母と父の出会いから語り起こさねばなりません。


大蒜、生姜、玉葱1/8を摺り下ろす。

柳生宗矩、柳生の庄に居る時、春日大社の宮司の所へよく碁を打ちに行っていました。現代でも奈良駅から柳生まではバスで1時間位かかりますが、馬で通っていたので、どの位かかったのか。(伏線)
春日大社からの還り道、井戸の側で洗濯をしている若い娘。ふと、宗矩は話しかけてみる。
「娘、その井戸の波は幾つあるか」
「二十一ございます」と即答。
「何故、わかる」
「七三(波)は二十一でございます」
7x3=21ということ。
当意即妙な返答。感じ入っていると、逆に娘が問うてくる。
「お殿様はここまでの馬の歩数を覚えていらっしゃいますか」
何時間もかけて春日大社から戻ってきたとなると、歩んだ歩数など覚えている筈もない。
機知に富んだこの娘、お藤との会話を快く感じた宗矩はお藤を側室として屋敷に迎えたという。


摺り下ろした香味野菜、ターメリック、クミン、コリアンダーを炒め合わせる。

このお藤が生んだのが烈堂。
宗矩とお藤が出会った場所に、お藤の井戸は現存。
「仕事せえでも器量さえよけりゃ、お藤、但馬の嫁になる」という里歌が歌われたといいます。
何やら違和感。話と歌の内容が食い違ってないか?
お藤はせっせと井戸端で洗濯という仕事をしていた筈。
伝えられている馴れ初めの話は、作り話ではと妄想。


適当な大きさに切った材料と調味料をすべて圧力鍋に入れて、加圧。これが悲劇の元になろうとは。

宗矩とお藤が出会った井戸端に、他の人がいた風がないので、会話の話も本当にその通りだったかはわからない。
つまり、本当はお藤の美しさに見惚れた宗矩は攫って、屋敷に連れ帰って強引に側室にしてしまった?略奪婚?
急に姿を消したお藤が側室として殿様の屋敷に迎えられたと聞いた里の人々はやっかみめいた歌を作った?
攫われたとしたら、洗濯物も放り出したままだっただろうから、仕事もしないで殿様の所へ行ってしまい、玉の輿。
しかし、自分の意に反して攫われたのだとしたら、幸せだったかは?
側室として生活の不自由はなく、仕事をする必要もない。それをどう感じていたことか。


加圧終了。ここで悲劇が。

辛い、辛過ぎる。
唐辛子粉を大匙1杯入れて煮たのですが、むせ返る程に辛い。とても食べられたものではない。
辛いカレーをマイルドにするには酢や蜂蜜を混ぜるとよい。ということから結構、大量に酢と蜂蜜を混ぜ込んで、辛い物好きな私にはどうにか食べられるレベルにまでマイルドになった。
教訓、辛みは煮上がってから少量づつ加えた方がいい。まずは小匙半分位から混ぜて試しながら味を決めていった方がいい。

若い娘を欲望のままに強引に連れ帰ったとなると、外聞がよろしくないということから、宗矩は馴れ初めの話をでっち上げて噂を流した?
生まれた子の烈堂ですが、12歳の時に父、宗矩が亡くなると仏門に入るように遺言されたものの、とても僧侶が務まる殊勝な性格ではなく、奔放に暮らし、柳生の庄の芳徳寺の和尚となることになっていましたが、長らくそれを無視。
柳生家の跡目を継いだ兄、宗冬は激怒して、烈堂を追放する遺言状を書いています。
烈堂が奔放になり、好きなように生きようとしていたのは、母が宗矩の側室として縛られた不自由な生活をしているのを見てきたからではないかと妄想。
気性が激しく、柳生という剣の家に生まれたのできっと剣の心得もあったと思います。


圧力鍋で煮ると、野菜はかなり柔らかく煮える。野菜の出汁もよく出る。

「子連れ狼」という劇画がありました。萬屋錦之助主演でドラマにもなりました。
公儀介錯人だった拝一刀が幼い息子の大五郎と共に旅をしながら裏柳生と戦う話で、裏柳生の総帥として登場していたのが柳生烈堂。
又、火坂雅志が烈堂の小説を書いたことがありました。
という風にフィクションの世界では活躍しているものの、実は烈堂の実像はよくわからず、研究もほぼ為されていません。


スープカ烈堂義仙

どうにか食べられるレベルにまで辛さを調整したスープカレーに、雑穀米を浸して食べる。
野菜の出汁はよく出ているものの、辛みがそれを上書きしている感じ。割と大きめに切った野菜も圧力鍋を用いたことから、かなり柔らかい。
唐辛子のカプサイシンは脂肪燃焼効果があり、代謝を上げてくれるものの、辛みは煮上がってから調節しながら入れるべし。
カルダモンも普通に煮た物とは違い、柔らかく違和感なく食べられる。

柳生の庄には柳生家の菩提寺、芳徳寺。此処には宗矩や十兵衛、新陰流開祖の上泉信綱の墓石も並んでいます。
激しい気性から僧侶になるのをずっと拒むかと思われた烈堂ですが、結局は芳徳寺の開山和尚に落ち着き、己の役割を全うしたようです。

僧侶としての名を烈堂義仙と名乗った人物を妄想しながら、辛みの激しい、正に苛烈ー(カレー)と呼ぶべきスープカ烈堂義仙をご馳走様でした。

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