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ネギし兎角

人間関係が希薄になってゆく現代ではなかなか想像しにくくなっているかもしれませんが、昔の剣術道場の子弟関係はかなり濃密。剣術を学ぶために来たのに、何でこんなことやらなけりゃいけないんだ?と思ったかもしれない人物のことを妄想しながら、葱を料理した記録。


材料

葱     1本
鰹節    一握り
酒     大匙1
醤油    大匙1
七味唐辛子 好きなだけ

戦国時代から安土桃山時代にかけて剣術の新たな流派が数多く誕生。
やはり戦乱が続く時代ということで、自衛のためということもあり需要が高かった。
有名なところでは塚原卜伝の新当流とか、宮本武蔵の二天一流等。
現在では絶えてしまいましたが、そんな流派の中に微塵流。
開祖は根岸兎角。
元々は神道流系の一羽流を修行していましたが、あるきっかけから師の元を出奔、自身の流儀を立ち上げる。


葱を8センチ位に切りそろえる。

兵法家、諸岡一羽斎の下に三人の高弟あり。岩間小熊、土子泥之助、根岸兎角。共に一羽流の剣術を学んでいたのですが、思わぬことでそれが頓挫する。
師の一羽が病床についてしまう。癩病だったと言われます。現代ではハンセン氏病と呼ばれることが多い病気ですが、昔は業病と言われ、恐れられていました。感染症であり、罹患すると最悪の場合には顔が崩れたり、指が開かなくなったりするとか。
指が開かなくなったりすれば、剣も握れない。剣術遣いとしては致命的な欠陥ということになってしまう。

両面に斜めに切り込みを入れる。

三人の門弟は師匠の看病。
岩間と土子は懸命に看病していたのですが、不満を募らせていったのが根岸兎角。
自分は剣術修行のために一羽の門人になったのであって、病人の看病をするためではない。ましてや業病ではいつ自分も感染するかわからない。
師匠がそんな状態では、ろくに稽古も出来なかったことでしょう。
不満を募らせた兎角はついに出奔。病気の師匠を見捨てる。
小田原へ出て来た兎角、山伏のような総髪に鋲を打った六角棒を持つという天狗めいた姿で自身の兵法を微塵流と称して門弟を集める。
一羽流から派生した剣術ということは、それこそ微塵も口に出さず、夢枕に立った天狗から口伝を受けたという触れ込み。
派手な格好で自己宣伝に努めたためだけではなく、それなりに強かったのでしょう。
やがて徳川家康が江戸に入って来ると、そちらへ流れていき、新たに開発されつつある都市で門弟を更に集める。


油を引いたフライパンに並べて、両面焼き。

風の便りで兎角の行状を耳にした岩間と土子は憤る。
病床の師をほったらかしたばかりか、その恩を忘れて自分の独創であるかのように宣伝するなど言語道断。
とはいえ師は病気とはいえ、健在なのでその世話を放り出す訳にはいかず。話し合った末に岩間小熊が江戸へ出て兎角に決闘を挑むことに。
土子は残り、師の看病をしつつ兎角退治を神に祈ることに。
江戸に出て来た小熊は兎角に決闘を挑み、公儀に届け出て正式な兵法試合としてもらう。
兎角も腕に自信があったか或いは門弟達の手前、引く訳にはいかなかったのか、小熊の挑戦を受ける。
常盤橋にて決闘は行われることに。小熊は予め高札を出して決闘の日時を宣伝。このために当日は大勢の見物人。
橋の真ん中で雌雄を決するということで双方、両端から木刀を手にして向かって行く。
師恩を忘れた兎角に天誅をと意気込む小熊、兎角も都合が悪いことを言い触らされる前に抹殺すべく気合十分。

いい感じに焼け目がついてきたら、酒と醤油を投入。煮絡める。

橋の中央で打ち合った両者、やがて小熊は力押しで兎角を欄干にまで追い詰める。
そこで意外な動き。
小熊は木刀を捨てて、兎角の脚を持ち上げ掬い上げる。兎角は川へと落下。
川に落とされた兎角は面目を失ったと思ったものか、そのまま泳いで逃げ去った。
勝利した小熊ですが、それから郷里に帰ることはありませんでした。
評判になっていた根岸兎角を倒したということから、今度は岩間小熊の剣名が高くなり、門弟が集まるようになってくる。こうなると小熊も悪い気はせず、そのまま江戸に滞在。剣術指導。ちゃんと一羽流と名乗ったのか?

鰹節と七味唐辛子を塗す。

ところが、小熊の元に集まった門弟の中には、兎角の門弟が入り込んでいました。
彼等は密かに師、根岸兎角の恥を雪がんと狙っていました。
そうした門弟の一人に風呂を勧められた小熊が浴室に入ると、兎角の元弟子達は熱湯を浴びせる。これで怯んだ所を袋叩き、ついに岩間小熊は絶命。
師の恩を忘れた兎角を倒した小熊が、今度は師の恥を雪ごうという弟子達に討たれるという結末。因果は巡る。
江戸で弟子など取らず、兎角を倒したらすぐに一羽の所に戻っていれば、こんなことにはならなかったものを。


ネギし兎角

微塵切りならぬ蛇腹に切り込みを入れた葱によく火が通り、甘味が引き出される。醤油味がよく沁み込む。
鰹節の出汁がよく合う。七味唐辛子のピリリ感がよいアクセント。葱のアリシンが食欲増進させて、ご飯が進む逸品。

泳いで逃げた兎角ですが、その後、信太朝勝と名を変えて、筑前福岡の太守、黒田家に仕えて微塵流を教えたと言われます。
中国地方にて病死と言われますが、人生の終わりははっきりしません。
微塵流ですが何故か、江戸時代には上州沼田藩で伝承されていたといいますが、現在では後継者なく絶えてしまったようです。

現代の感覚からすれば、自分はあくまでも剣術の稽古をしているのであって、病人の世話は医者とか親族がすべきと思いそうな所。
思うに交代で江戸へ出て一羽流を教えて門弟を増やすことにして、師の看病も三人が交代でという風にしていれば、この騒動も起こらなかった?
もっとも、自分の剣や名前を高めたいと思っていたであろう兎角には、そんなことには耐え切れなかったか。
剣術の隆盛期に起こった騒動を妄想しながら、ネギし兎角をご馳走様でした。


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