死について

死について

制作した漫画作品(Lost girls calling)のプラットフォームにもしているnoteを運営している会社の電子メディアサイトで、友人の自死を経験し残された人間として筆者が生前の記憶や日々変わっていく故人への気持ちを記事に纏め、既に企画も通り着々と準備されていた連載が、自死というセンシティブな内容のために掲載を許否されるという事件が起こった

幼稚で浅はかな行為に心が脱臼したようになった
わたしは死を忌避する人、その話題を口にすることを不謹慎だと見なし遠ざけようとする人の気持ちがよく分からない

「センシティブな」テーマだからこそ、既に批判も修正もする術を持たない故人のために虚飾や嘘の混じった文章を書かないように細心の注意を払い、信頼関係を築いた遺族に協力を仰ぎ誠実なやり取りを重ね、取材し、そうやって並みでない労力を重ねて連載の準備をされていたであろうことを考えても、運営側の自死に対する態度にセンシティブさは全く感じられない。
あるのは何となくネガティブなイメージがあって今燃え上がりそうなテーマだから辞めておこうという思慮の浅い軽薄な思惑だけだ

物心付いてそうかからず、自分のような価値観と美意識を持った人間がこの世界でこれ以上生きていくことは困難だと悟って以来頭の片隅にいつもうっすらと希死念慮があった
死にたいとう感情が大なり小なり日常の中で度々起こることは、頑張って正気を保って生きている人間として、感情を持った生き物として、言葉にする気が起こらないほど自然なものだと思っていた

わたしの自然は一体どれだけの人間にとって、不謹慎なのだろう


まだ精神科に通院して睡眠剤を服薬していた時、気が付いたら床の上に倒れて眠っていることがあった
薬の効果が緩やかにやってこず、ナルコレプシーのように服薬後一瞬で意識が閉じてしまってそのまま倒れこむ
その現場を姉に発見され、揺すり起こされた後何故こんなところで眠っているのか問われた
「意識が突然シャットダウンされちゃうんだよ そういう薬だから」
わたしがそう答えると姉は悲しそうに、納得出来ないように泣いた

生活していくために飲まざるを得ない状況に追い込まれ、医学的な理由で服薬していることをどうして悲しまれなければならないのか分からず、涙の原因が全て自分にあるかのような気がして、わたしは大好きな姉に少し腹が立った

「死」に纏わる哀しさだけを見て、その「死」に至るまでの人間の人生の重苦しい憂鬱さ、その憂鬱を作り出す世の中に蔓延る歪みには頓着しないでいられる人達が沢山生きている世界で、そういう人達に更に優しく首を絞められながら生きていかねばならない

いかねばならないという、多分これからも変わることのない事実 がある

だから同じように死が救いとして、導き出さざるを得ない最適解として、自分たちに不条理と暴力を向けてくる現実に対する決着として、死を選び死が傍らにあった人達のことを、もっと現実的に、淡々とでも突き放さずに記し残すにはどうすればいいのかを10代からずっと考えていた
思春期から精神科に通いやたら向精神薬に詳しい子供がわっと増え出した世代

自分の人格形成に深く食い込みすぎて作品としてまだ昇華することの出来ないあの日々のことを、この原作なら表現出来るかもしれないと思い、当初は作品集として考えていたものを原作者の御好意で漫画作品として制作することになった

少女、や制服に纏わりつくイメージが、当人たちの存在以上に甘美に、センチメンタルに、情緒的に、儚く描かれすぎる特にこの国のフィクションの世界で、それらと全く没交渉な少女時代であったことを、没交渉な少女たちがいたであろうことを記録しなければならない

フィクション側のこれらの虚像が現実の少女たちの世界を消費し食い潰しつくす前に

修練と制作と生活と全て同時進行しなければ恐らく長くは生きないであろう自分の人生に間に合わないと思い、まるで体に火が付いて静止していることが不可能かのように、思考と関係なく動き続けるオートマチック人形のように、未知のウイルスの到来で急にぽっかりと空いた空白の期間を黄緑と水色の色鉛筆でごしごしごしごし塗り潰したものがあっちにぶつかったり、こっちにこけつまろびつしながら、原作者兼編集を担って頂いた白昼社のいずみゆらさんの御力により本の形となった

あるべき部品があちこち欠けた人間に大事な作品を託して頂いて今更ながら申し訳無い気持ちと感謝の気持ちでいっぱいである
1月17日の京都文学フリマと白昼社のネットショップサイト白昼堂々堂(http://f27.base.ec/)Amazon等オンラインにて刊行予定(はくちゅうどうどうどうという文字がおもしろくてどうしてもリフレインしてしまう)

この物語はタナトスでも死へのカタルシスでもなく、誰にも気付かれずにコンクリートの割れ目でしなだれていた小さな野草が、日の当たる方へいつの間にか日陰から小さな蔓葉を伸ばしていたような、そういう仄かな光の中で終われたと思う


制服の女の子を描くと、現実の制服を纏った少女だったわたしと、それとは没交渉な上澄のような存在との狭間に落とされて、いつも罪悪感に苛まれる

あなたはかつて生体と虚像とに引き裂かれた少女だったことがありますか


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