マイノリティリポート
私は現実世界が嫌いではないけど、色々感じすぎるから疲れてしまって、架空の物語を求めるようだ
見たままに描けない
演じるほうが楽
嫌いではないけれど、楽じゃない
私自身を肯定されることが殆どなかったからだろう。
例えば晴れ着を着たらお嬢様になり、短パンを履けば野生児になって駆け回り、長いものを持てば殺陣をして、学校に行けば学生らしく振る舞う
この世界で社会で生きていく為に我を隠す方が楽なのは、『皆』と言われるマジョリティを頭では理解できても、心から共感することが難しいからだったと、今はそう考えている
幼い記憶はあまり明確ではないけれど、暗い部屋で一人で本を読んだり、眠って夢を見ていた事はよく覚えている
絵も歌も現実離れしたものを好む
好きな映画はなにかときかれたら『ブレードランナー』と答える原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を購入してどんな話かと説明しようとして、説明できない。
自分の何に刺さったのか。
AIで遊んでたのと昔まだ画素がデスクトップでも低かった頃に描いた暑中お見舞い
元からメジャーな思考回路じゃないのに、更にひねくれてるというか天の邪鬼で、エッシャーが好きかどうかわからないけど、騙し絵とか矛盾とか現し世は夢とか反転する思考にフィットした。
語り継がれてるのはリドリー・スコット監督の映像美もあるけれど、原作もいい
映画のストーリー違うけどそれがいい
2って不完全というか不安定に感じて、3点目を作って三角にすると、それでもぐらついてピラミッドにしてみたり、最後は球体だろうか?
閑話休題
フィリップ・K・ディックの小説はアンドロイドは電気羊の夢を見るか? と マイノリティ・リポートの短編集だけだけど、なぜ惹かれたのか?
彼もある種のマイノリティだったようだ
生前は評価されなかったらしい。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
SF研の会員でも結構挫折することが多いのか
作者と友達というか、作者に憑依される気持ちで読むのかな?
読書の仕方にもよるんだろう。
ユービックは必読だな、とメモしつつ
自らを "fictionalizing philosopher"(小説化する哲学者)と称していた。
ナチュラルハイだから、薬とかキメる気持ちはよくわからない、地に足をつけていたい
そちらに全集中するために、妄想や虚像とはくっきり線引きしていたい。
まだ彼岸より此方に留まっていたいと思う
もしかした脳内麻薬が出やすいのかもしれない
TPOは考えてる
プライベートはわかんない
仕事とか手続きたか電話対応とかは、普通にトークしますできますビジネスジャパニーズ使えます、使えますよ
演じるほうが楽
自分はたしかに自分で今この世界線のここにいる
正直神様とかわからんけど、いるとしたら何も考えてなけりゃいい
考えてやってたら怖いね
人間は矮小で宇宙の広大さにはひれ伏すしかないのに、神の領域とはどこからだろう?
少なくと世界がさっき生まれたとしても今ここにいて、今この世界はけして良くもない善くもない、けど絶望するほどに悲観できない程度に私は甘やかされているのだろう
絶望に近いところを見ても私は私としてアイデンティティを何度でも確認する
死ぬために生まれたとしてならば自分はどう生きるか
生き様に何か意味をもたせられるといいな
例えば小説を残すように、クリエイティブな仕事ができるなら、何かしら生きた証を残せるんだろう
ただ、忘れ去られる人と語り継がれる者は別れる
クリエイティブエンタメアートなんて、その世界で成功するのは、運の要素がものすごく大きいと思う
まぁ、久しぶりに本棚を整理した時思い出したら徒然なるままに
推敲したい!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?