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今の私が形成された幼少期の話をしようか


実は、なかなか完成しないのだけど
私の貧乏谷生活はこうして始まった…
という記事を書きかけている。

それを書くにあたり、
幼少期のことはどうしても書かないといけなくなる。

だって、
お金の教育など受けたことがないわけだから、
私がどんな親に育てられ、
どんな価値観が形成されたかは
必要な情報だろうと思うのね。


幼稚園、保育園時代


小さい頃の記憶って、
あまりないものかもしれないけど、
私は結構しっかりと記憶している。


なんなら3歳未満児の頃の記憶もあるほど🤣

保育園に行っていたが、
毎日のように朝泣いていた。

帰りは祖父が迎えに来ることが多く、
先生から、

朝はいつも泣いているけど、時間が経つとケロッとしてよく遊んでいます

という言葉を聞き、
祖父も笑いながら話していた。

おじいちゃんは、私が泣かずに過ごせていることを知って、安心しているんだな、
と思ってた。

年少、年中は幼稚園だった。
年長は、また保育園へ。

保育料や親の仕事の関係で、
一時的に幼稚園に行っていた。

年長になると、
未満児の時より、保育料は各段に下がるので、
また保育園へ通ったのだろう。

年長の頃は、私の髪型が珍しかったことや、
母親ではなく祖父が送迎することが、
他のみんなと違うということで
いじめにあった。


(前髪を上げた髪型をしていたせい?)で
外人、外人、と言われた。

私をいじめたやつらのことは一生ゆるさないぞ、
なんて思ったものだったが、
小学生以降、結構仲良くしていたものだった。


小学生

小学生時代は、私にとって結構人生変わる出来事があった。

小2の時、父親が病死したのである。

これは衝撃で。


父は、今考えたら短い闘病生活だったけど、
当時、毎日毎日病院へ通って、
唯一の父との時間だった。

小学生にとって、
親が亡くなることなんてなかなかなくて。

周りからも哀れがられて…

そんなこともめちゃくちゃ嫌だった。


親がいない私は、
小さくなって目立たないように生きていかないといけない、とか、

親がいないのに、
えらそげなことを言ってはいけない、とか、

親がいないのに、
生意気な態度を取ってはいけない、とか。

なぜか、この辺りから、自己否定癖が作られた気がしている。

中学生

親がいない私は、
とにかく、

周りに合わせながら、
静かに、
言われることを必ず守りながら、
真面目に学校生活を送った。

先生たちも、安心しているくらい
真面目な生徒だった。
生活指導で怒られたことなんてない。

苦手科目はあったけど、
それなりに勉強もしていたし、
成績も問題ない、
優等生の部類だったかな。

当時の学校教育には、ぴったりハマる、
模範のような生徒だった。


それが苦痛とも何とも思わなかったし、
むしろ、先生や周りの大人から評価されていることが嬉しかった。

このまま評価され続けて生きていけば、
親がいなくてもこの先の人生大丈夫だろう、
なんて考えてた真面目っ子だった。

将来のやりたいことなんてなかった。


そういえば、
英語が得意だったし、祖父が、スチュワーデス(CA)になりなさい、なんて言っていたもんだから、なんとなく、
英語、エアラインなんて、ざっくりとした夢を語っていた気がする。


親に言われた職業に就かないといけない、なんて
(そんなわけないんだけど)
当たり前だと思っていた。

周りの大人が言うことを守るのは
当然のことだと思っていたし、
その方が楽だった。


自分の気持ちが分からないし、
自分の意見なんて言いたくなかったし、
そもそも自分で何かを考えることが分からなかった。


高校生

高校生になっても、
相変わらず真面目人間だったけど、
勉強がどんどん出来なくなっていった。


楽な方へ流される。


中学生のときのような感覚で
適当なテスト勉強しかしなかったら、
そりゃ成績も落ちる。


一応、大学受験をするが、
圧倒的に勉強不足で希望のとこには行けず。


外国語系の専門学校へ進学。
※もれなく奨学金なのでこのあたりで2~300万の借金を背負う

*☼*―――――*☼*―――――


こうして書いてみると、
私は真面目で、大人しくて、全然目立たないタイプだったと思う。

いい意味で、扱いやすい人だった。

人に合わせることが出来るし、
言われたことを守るのだから。



自分のことは、
ツラツラと書けるね。



#書く習慣1ヶ月チャレンジ
#Day5

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