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桂紋四郎独演会@繁昌亭

5月8日(水)
桂紋四郎独演会@天満天神繁昌亭
演目:桂健枝郎「軽技講釈(の前半部分だと思う)」
桂紋四郎「京の茶漬け」
    「まんじゅうこわい」
中入
「菊江仏壇」

子供の頃、親に連れられて新宿末廣亭や紀伊國屋ホールに何度も通った。家が近かったということも大きいと思う。
年代的には1970年代後半。今思えば八代目橘家圓蔵になる前の月の家圓鏡や、まだ多分20代後半だったんじゃないかぐらいの春風亭小朝、柳家小さん、先代の三遊亭円楽など、そうそうたるメンバーの高座を8歳になるかならないかぐらいの時に聞いていたことになる。(今こう書いていて、その大多数が鬼籍に入られているのに慄然とした。当代の円楽さん=楽太郎さんもお亡くなりになってしまったし、年月の流れを感じずにはいられない)
今振り返ってそう思うだけで、当時はもちろん、何も分からなかった。ただ、落語というものは楽しいものだ、と思い、古典落語のネタ本なんかを読んだ覚えがある。おかげさまで、江戸前の落語の演目については多少わかる。
しかし、思春期になり関西に拠点を移したことが家がらみのゴタゴタで心理的余裕がない時期にちょうど重なり、上方落語に馴染みがなかったこともあって、私の落語視聴歴はそこで一旦長い断絶を迎えることとなる。

昨年になって、ここに大きな変化があった。
日本酒がらみで、桂紋四郎さんとご一緒にお仕事をする機会があったのだ。

飛行機に乗った時に機内プログラムの「全日空落語」を聞くこと、テレビで見ることはあったが、実際に寄席には全く足を運んではいなかった。紋四郎さんとの雑談の中で独演会があることを知り、長い(40年以上!)のブランクを経て、独演会にいってみようという気持ちになったのは、ご縁としか言いようがないと思う。

手違いで4枚チケットを購入してしまったので、娘世代の若い人に最前列のチケットを譲り、かぶりつきで見てもらった。

健枝郎さんの枕は、偶然コロナ禍で師匠とNintendo Switchを一緒にやることになる話で始まる。マリオカートで師匠と対戦する話は、若い子たちには大ウケだったのがよくわかったが、あれ、客の年齢層的にはあまりピンとこない人も多かったんじゃないんだろうか。孫と一緒にやったりとかするのかな。

上方落語そんなに詳しくないしな。演目わかるかなあ。と思っていたが、幸い有名なネタや、聞いたことがある咄だった。
中入り後の「菊江仏壇」。多分、演者さんが誰だか覚えていないが、以前に全日空寄席でやっていた演目だ。最近では演じられることが少ない演目だと、調べて初めて知った。
大阪の糸問屋の大店。ここの若旦那はとんでもない道楽息子で、家に居つかず遊んでばかり。大旦那は一計を案じ、お花と言う女性と結婚させた。このお花、器量もよく、女性として必要な花嫁修行も十二分。気立てもよく、こんな素晴らしい嫁をもらったら流石に女遊びもやむだろう、という肚だ。
若旦那は初めこそお花を大事にしていたが、程なく遊びの虫が再発。芸者の菊江に入れ上げて家に帰ってこない。そのせいでお花は気を病んだ挙句重い病気になってしまい、療養の為実家に帰ることに。実家から『お花が危篤』と言う知らせがくる。大旦那は若旦那を責めるが、若旦那には全く反省の色なし。大旦那は番頭に若旦那を見張らせ、花の見舞いに行く。
しかし散々遊び倒している若旦那には悪知恵が働く。番頭が隠していた女遊びと使い込みをネタに番頭を脅しにかかる。挙げ句の果てに、大旦那が留守の間に、仕出しを頼んで菊江を家に呼び、家で飲むなら世間体も悪くなかろうという若旦那の説得に負け、店を早じまいして宴会をセッティング。
そこへ、お花が亡くなったと気落ちした大旦那が帰ってくる・・・

というネタ。

正直、女性として見ると、「不適切にも程がありすぎる」咄だなあと思う。
令和の今やるには結構難度が高いんじゃないのか。と、字面に落とすと思うし、実際に見ていても、道楽ものの若旦那には何一つ共感できない。
けれど、演者次第では、「1人不条理劇」的に演じることができるんだなあ、と、今回思った。人間のどうしようもなさ、酔っ払いの描写、番頭と道楽息子の駆け引き、菊江の色っぽさ、そういうものを1人で再現するという意味では、きっと演者さん的にはとってもやりがいがある大ネタだろうと思う。きちんとドラマとして成立していて、作品世界に引き込まれるという意味で、やっぱりプロの噺家さんは素晴らしいなあ、と思った。

そして自分の観劇レパートリーに、今後積極的に落語も組み込んでいこうと思った。40年の長いブランクを超えて、そういう気づきと意欲をいただいたことに心から感謝。




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