見出し画像

ミュージカル「VIOLET」

個人的に、今年はミュージカルや劇(などの総合芸術)を積極的に観る年にしたいと思っています。

そしてちゃんと観劇の感想を書く余裕を持ちたいとも。

GW観劇第一弾。

4月27日(土)、梅田シアタードラマシティで、ミュージカル「VIOLET」観劇。

<あらすじ>

1964年、アメリカ南部、ノースカロライナの田舎町。幼い頃、不慮の事故で、父親が薪を割る際の斧が飛んで顔に大きな傷を負ったヴァイオレットは、25歳の今まで人目を避けて暮らしていた。しかし今日、彼女は決意の表情でバス停にいる。あらゆる傷を癒す奇跡のテレビ伝道師に会う為に。西へ1500キロ、願いを胸に人生初の旅が始まる。

長距離バスの旅でヴァイオレットを待ち受けていたのは、様々な人と多様な価値観との出会いだった。ヴァイオレットの顔を見た途端目を背ける人々。バスで道連れになったのは南部出身で白人の老婦人、黒人兵士フリックと白人兵士モンティの対称的な二人の男性。現実の対話の中でフラッシュバック的に現れる子供の頃の自分と三年前に亡くなった父親。旅を通じヴァイオレットの中で何かが少しずつ変化しはじめる・・・という筋。

演出の藤田俊太郎は故蜷川幸雄の愛弟子て、この作品が初演出。

2019年、ロンドンで大成功を収め、日本での公演が期待されていた矢先、2020年4月からのコロナ禍により公演中止。その後、9月に東京で3日間限定公演をしたのですが、フリック役が吉原光夫・・・見たかった・・・

黒人公民権運動と南部の激しい人種差別、ベトナム戦争を軸に、ルッキズムやアメリカのマスコミを巻き込んだメガ教会システム批判も盛り込んだロードムービー的ミュージカル。

ところどころ、子供の頃のヴァイオレットが救急で担ぎ込まれた地元の医者が酔っ払っていい加減に傷を縫合し、その後貧しかった父は5年間形成外科手術代が払えずに傷を治すのには手遅れに、なんていうアメリカの医療制度の闇も入りつつ。

時折挿入されるヴァイオレットの回想は、まんまインナーチャイルドとの対話で「トラウマを自力で癒していく」過程と重なります。

潜在意識に深く潜っていく描写として「井戸」と「水」を象徴的に扱っているのが印象的でした。

冒頭部分に、井戸の中に踏み込んでいく黒人の登場人物たちが、公民権運動の過程で当局に暴力的な放水を受ける様子が、当時のリアルな映像と共に心象風景として描かれました。実は全員日本人の役者なので、「黒人」「白人」というのはセリフでしかわからない仕掛けになっており、観劇終了後、そのシーンを振り返ってみたらそうだったと気づく、という感じだったのですが。割と翻訳劇にするのは難しいテーマかもしれなかったです。

ヴァイオレットの顔の傷は、メイクなどで再現するのではなく、役者の演技により観客に想像させるスタイル。つまり、演者が芸達者でないとそれが伝わらないのだけれど、三浦透子はその難役を見事にこなしていました。

彼女はミュージカル初挑戦だそうですが、ちょっとノラ・ジョーンズっぽい歌い方で、好感。

心理劇的な側面があるミュージカルなので、いいキャスティングだったんじゃないでしょうか。

最後のクライマックスは、トラウマを自力で癒していく過程を見事に描写していて、ミュージカルでここまで泣いたのは「レ・ミゼラブル」以来かもしれない、というぐらい号泣してしまいました。(心理療法を経験したことがある人間には相当の泣きポイントなんじゃないでしょうか)

「PIPPIN」もすごいと思ったけど、こちらは個人のトラウマに深く斬り込む繊細な脚本なのにきちんと社会性の背骨があり、音楽としてもドラマとしてもかなり個人的に高評価。素晴らしいミュージカルでした。ありがとうございました。

今後、もう少し、時代背景や宗教性、社会性についても考えを深めていきたいと思った、そんな作品でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?