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ポテサラおじさんの話を聞きながら、今年の夏服を古着屋さんで買った話

この夏、いろんな話題がありましたが、その中の一つにポテサラおじさんがいたと思います。https://twitter.com/mitsu_bachi_bee/status/1280640234120568832?s=20

「母親ならポテサラぐらい作るべき」と言ったおじさんは、きっと、今までも型にハマった考え方を強制され、それを実行し続けてきたのでは無いかと思いました。だから当たり前の様に、人に何かの型にはまった価値観を押し付ける様な行為ができたのだと思います。

確かに型にハマった言動は楽です。私も心当たりがあります。つい、この春にも通勤服が数枚ヨレヨレになってきたので、女性誌を参考にしながら、いつも女性で溢れかえっているZARAでまとめ買いをした事があります。

すぐ決められたし、雑誌で紹介されていたスタイルだから、心理的に安全で、買った時は、とても満足してました。

しかし、その服を着ている自分は、全く楽しそうにしていない。「通勤している女性は、こう言う服着てればいいんでしょ?」ってな顔でした。一方、去年BEAMSBOYで一目惚れして買った羊の絵のTシャツを着ている時の私はとてもリラックスしていて楽しそうです。こんまりさん風に言う「ときめき」を感じます。

多分、雑誌を参考にZARAの服を着た私は、他人の価値観の物差しの中にいる、自分を置き去りにした姿であり、羊のTシャツを着た私は、自分の価値観の物差しの中にいる、居心地の良い自分なのである。

ポテサラおじさんは、きっと今まで、昔からある、他人の価値観だったり、同調圧力に流されてきてしまった人なのだと思う。他人の人生で生きる事が当たり前だから、平気で人に、人の価値観の中で生きる事を提案できてしまうのだと思う。

きっと、誰かが考えた「女性は料理するもの」「母親はポテサラを作るもの」なんて考えは、人それぞれ違って良いし、ましてや、他人に押し付ける事でも無い。

強いて誰からそれを言うなら、それは見ず知らずのおじさんが言う事ではなく、スーパーのポテサラでは満たされない母親の味を求める彼女の家族が決める事だと思う。

ポテサラおじさんの真意がわからないが、おそらく嫌がらせではなく、「子供のため」とか、想像出来る範囲の何かに対して良かれと思って言ったと思いました。おじさんは、お母さんや奥さんのポテサラを美味しく食べて来たのかもしれない。

でも、ポテサラおじさんと、見ず知らずのお母さんがポテサラをスーパーで買う行為は、無関係であり、もっと言うなら、2020年の共働き世代でお母さんが忙しいとか、新しい生活様式とは関係なく、個と個の関わりの境界線がおかしくなっていたから生じた問題であり、この話は「自分は自分の価値観の中で生きるべき」と言う教訓だと、私は感じ取りました。

そして、先日、BEAMS BOYの服みたいな羊のTシャツや、1980年ぽいテイストの服を古着屋さんで見つけて買いました。

自分の価値観の中で選べた服なので、どれも自分らしく、居心地が良いものであるだけではなく、シェアリングエコノミーな生活を送りたい自分にぴったりだなと、満足したのでした。

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