Marty Balin, Jefferson Airplaneの創立者でJefferson Airplaneの最初の2枚の大部分の曲を作詞作曲した方が9月27日に亡くなった。Marty Balinは5回ステージで見た。1968年Jefferson Airplane, 1975年Jefferson Starship, そして1990年代後半にJefferson Starshipと共に3回。1990年代に東京のスイートベイジル六本木で演奏した時、彼はお客さんが盛り上がっていないことを感じて、お客さんに前に飛び込み、バンドのことをあまり知らなかった日本人の会社帰りのOL二人にセレネードし始めた。その二人が「きゃー。何これ?あっちへ行け!」という身振りをした。それに傷つき、それが顔に出て、ステージに戻ってからすみっこに座り込んでしまった。ローリング・ストーンズのライブ・ツァーの映画「ギミー・シェルター」では、彼がアルタモント・ロック・フェスティバルでお客さんを暴走族から守ろうとしてステージから飛び込むと、暴走族に失神するまでぼこぼこに殴られてしまっている。フランスの監督ゴダールが1960年代に撮った映画でジェファーソン・エアプレーンがニューヨークのビルの屋上で演奏を始めると警察官がやって来て、「誰が責任者だ!」と聞くとMarty Balinが自分がバンド・リーダーだと言ったために彼だけが刑務所に連れられて一夜過ごさなければいけなくなる。他のメンバーやスタッフはニューヨークで食事ををしてホテルで泊まっている。こうしたことがまず思い浮かんでしまう。


彼が責任者だったライブハウスMatrixからサンフランシスコのサイケデリック・シーンが始まったと言われている。彼はその中で責任感が強い人だったからみんながやって行けたと言われている。ジェファーソン・エアプレーンのギタリスト、Jorma KaukonenはMarty Balinの曲が好きじゃないと言ってエアプレーンを最終的に辞めたが、Martyが亡くなったと聞くと、「Martyがいなかった私の人生は全く別のものになっていただろう。Martyと出会えたから今の自分がいる」と雑誌や新聞に語った。Marty Balin自身は後で加入した女性ヴォーカリストのGrace Slickのイメージが強すぎて、性格的にも一緒にやりたくないと言い、たくさんの雑誌社にGrace Slickの悪口を語ってJefferson Starshipを一度1970年代に辞めたが、Grace Slick自身はJefferson Airplaneを再結成する時にMarty BalinなしではJefferson Airplaneはありえなかったと言ってMarty Balinを自分で呼び戻した。


数日前に自分の人生に最も大きな影響を与えたトップ5の曲のリストをみなさんで作って見て見ませんかという記事をフェイスブックに投稿したが、そこで僕はGrateful DeadやJefferson Airplaneのメンバーたちが共同作詞作曲した"Starship"という曲をトップに書いている。Marty Balinもこの共同作詞者の一人だ。この曲はアシッド・トリップの経験からNDE(臨死体験)を歌っているように聴こえる。この曲は当時のSF文学賞にノミネートされていた。文学性が高い。音楽としては当時のサンフランシスコのサイケデリック・ミュージシャン達がが集まってジャムしているように聴こえるが、何人もの人がもしも、1960年代当時のヒッピー・シーンを一曲で表現すると、この1曲だろうと語っている。僕もそう思っている。

この曲は1967年のMarty Balinの代表曲。Grateful DeadのJerry Garciaがゲストでリード・ギターのフレーズを弾いている。この曲は数回、彼がライブで歌ったのを見ている。最近、出版された僕の本では、初めてこの曲が入っているアルバムを船の上で7歳の時に聴いた印象について書いている。


多くの人は聴いていないと思うが、Jefferson Starshipの1995年のライブ盤「Deeper Space/ Extra Virgin Sky」に1990年代のコンサートが丸ごと一つCD化されている。このアルバムは本当に名作である。サイケデリック時代からかなり後に録音されていて、最初にコンサートが編集されたCDが発売されていたために全体のコンサートが見えにくかったが、このバンドを語るには抜かせない一枚だと思う。

Jefferson Airplane - If You Feel


Jefferson Airplane - Today 


Jefferson Airplane - We Can Be Together


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