William Shakespeare: The Complete Works - ブックチャレンジより

大西 穣さんから7日間ブックカバーチャレンジのバトンタッチを受けた。1日目:William Shakespeare: The Complete Works。

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Ayuoは音楽家として仕事をしていることで人は知られているかもしれないが、本当は音楽家になるのが人生の目的ではなかった。音楽は一つの選択として考えていたが、中学・高校の時は英語の詩の朗読と美術の興味の方が強かった。音楽の道に行ったのは自分の選択というよりも僕が14歳から17歳の間に2人の両親が5回の離婚とパートナーが変わることがあり、住む場所も何度も変わり、17歳以後は言葉も文化も分からない日本に一人で住むことになった。それまでは英語の学校に行っていたが、インターナショナル・スクールは父親の稼ぎでは高すぎると言われて、高校一年生で中退することになった。周りの人達は、きっとAyuo(当時の自分の名前はタカハシユウジだった)もきっと音楽家になりたいに違いないと思われ、そのように周りの人から思われることがむしろ自分を音楽家にしてしまった。

十代の人にとってはロックやフォークの詞が文学と哲学の入り口になる。ルー・リード、ピーター・ガブリエル、ジョニ・ミッチェルは僕の世代にとってその役目を果たした。しかし、英語詩の朗読をやるにはシェークスピアがやはりそのルーツになる。セックス・ピストルズのジョニー・ロッテンさえもローレンス・オリヴィエの語るシェークスピアの「リチャード3世」がヴォーカリストとして最も影響的だったと言っている。

Ayuoは高校を中退することになってからは文学と哲学の英語の本を毎月数冊買って、それに基づいた詩やエッセイを書いたりして、人とはあまり会わなくなった。社会から離れた人にどんどんなっていった。

簡単な持続音をオープン・チューニング・ギター、ヴァイオリンや電子音で作って、それに詩を語る音楽をたくさん作るようになった。

シェークスピアは全作品を読んでいるか、舞台で見ているか、映像で見ている。世界で知られている「ロミオとジュリエット」よりも歴史の作品が最も面白い。近年、日本でも流行っていたドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」も「リチャード2世」から「ヘンリー8世」の時代の事実の歴史に大きな影響を受けていた。

シェークスピアの言葉は音楽として聴こえる。言葉のリズムやサウンドが意味と同じくらい重要だ。英語詩のメタフォアは英国の歴史の影響なしでは考えられないが、アメリカや全世界の英語圏の考え方に影響を与えている。僕にとって最も美しい響きに聴こえる。
響きだけではなく、内容には人類にとって普遍的な内容が語られている。例えば「ヘンリー6世」には農業をやっている人たちを集めて革命を起こそうとする組織が登場する。語っていることは20世紀の中国の文化大革命とほとんど変わらない。そして、20世紀の文化大革命と同じように多くの文化物が破壊され、貴族社会を転覆して「分かち合う」社会を作ろうとするが、20世紀と同じように多くの死者出て破綻してしまう。人類が見る「夢」や「ロマンス」も昔と変わらない。人類は歴史をきちんと勉強しないと同じ過ちをいつまでも繰り返してしまう。同じ言葉を少し変えただけで21世紀に通じてしまう。

シェークスピアのコメディーも素晴らしい。昔、道化師とは王様のサークルで重要な役目があった。それは社会で起きていることを客観的に気が付かせることだった。直接に批判したり、議論をすると人はまず感情的になって、話している内容さえも聞かなくなっえしまう。だから道化師は言葉の使い方を考えて、王様や貴族に影響を与えることが出来た。アメリカのスタンド・アップ・コメディーは未だにその役目を持っている。アメリカのウディ・アレンやジョージ・カーリンが哲学者ショーペンハウアに影響受けていると言っているのは、哲学的な内容を面白く語って、人々が気付かなかった問題に目を向ける能力が素晴らしいコメディアンや道化師にあるからだ。

僕が日本に来る前に、リンゼイ・ケンプ・カンパニーの当時のメンバー達が家に来ることがよくあった。当時のケンプ・カンパニーはマイムやダンスだけではなく、オスカー・ワイルドの戯曲をやっていた。当時家に来ていた役者の中には後にBBCテレビのシェークスピア劇場での大きな役を演じたり、英国シェークスピア・グローブ座のメインの役者になった人がいる。こうした響きは自分にとって大きな影響となった。ケンプ・カンパニーの音楽は僕のギターの先生のウィリアム・ヘラ―マンが担当して、中世・ルネッサンス・ヨーロッパ音楽、ワグナーとラヴェルの曲を間に使っていた。

次の引用は好きな言葉だ:
The Tempest
Be not afeard; the isle is full of noises, Sounds and sweet airs, that give delight and hurt not. Sometimes a thousand twangling instruments Will hum about mine ears, and sometime voices That, if I then had waked after long sleep, Will make me sleep again: and then, in dreaming, The clouds methought would open and show riches Ready to drop upon me that, when I waked, I cried to dream again.

レイフ・ファインズが演じた「リチャード2世」も最高だった。「リチャード2世」はセリフが全て詩で書かれている。

Midiレコードと1980年代に契約した時に最初のアルバム「サイレント・フィルム」は英語の歌のアルバムだと言ったら、会社の社長が「いいや。日本人は英語が分からないので、これはインストとして聴いている」と言われた。これは僕にとって驚きだった。
動物に人間が言葉を話しても、言葉の意味が分からなければ動物は音楽として聴いているのだろうか?YMOや坂本龍一のアルバムの聴き方もそうであったのだろうか?

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