100人世界で最も影響力のある一人に僕の中学校の同級生が選ばれていた
最近、僕の中学校の同級生がアメリカで最も影響力があるニュース雑誌、タイム・マガジンで100人世界で最も影響力のある一人に2011年に選ばれていたのが分かった。フェイスブックには中学の同級生が何人も友人になっているので、名前は出さないようにします。その人は、文化大革命がまだ終わっていない1970年代初頭の中国からニューヨークへの留学生だった。彼女の母は毛沢東の英語通訳。ニクソンやキシンジャーと一緒に写っている写真がある。国際交流で来ていたが、毛沢東が亡くなると彼女の母は「4人組」の手先として2年間捕まっていた。
日本の多くの人はアメリカの教育システムがどんなものかを何度も僕が話しても理解できないような感じがする。アメリカの教育システムでは国を統一する一つの見方や教科書がない。学校か先生自身が選ぶ。クリスチャンの学校に行けば、バイブルを勉強して、南部ではダーウィンを未だに認めない学校もある。僕の学校の歴史の先生は中華人民共和国から毛沢東語録の言葉黒インクで書かれている本を輸入して、クラスでいつも読むことになった。学校のチャイニーズ・アメリカン(中国系アメリカ人)の女の子たちは、これを嫌がっていた。香港に親戚がいる子もいれば、家族がアメリカにビジネスをやって何世代もいる子もいた。彼女たちは中国本土からの留学生の悪口を影で言うようになっていた。学校の授業で留学生の彼女とピンポンなどをやったことがあるが、友達とは言えない。ロシア人、ユダヤ人、チャイニーズ・アメリカンの子達の方と僕は親しかった。
学校にはボブ・ディランやPPMの子供たちも来ていた。多くのフォーク歌手がデビューしたビター・エンドというフォークのライブハウスは学校を出て2分ほど同じ道を右に歩くとそこにあった。ピート・シガーやギル・エヴァンスも、かつて学校に教えに来ていた。(ギル・エヴァンスは一度会った。)中学校の頃、友達も多く出来るようになり、自分が未来にやって行きたい事がなんとなく見えてきた。それは文学、作詞とストーリーを作ることだった。また、この時代のニューヨークの文化は特に面白かった。この学校には後にはパティ・スミスの子供も入り、パティ・スミスの名前はPTAにも入っていた。僕はこの学校に高校の終わりまでいたかった。いろいろな人と会えた。
その中国からの留学生は北京でニュース・アナウンサーとして非常に影響力があるらしい。一時期、国際的に知られた映画監督のチェン・カイコーとも結婚していたようだ。中国のニュース・アナウンサーとしては政府の方向を人々に伝える役目なので、最近のアメリカと中国の冷戦の状況では少し大変に違いない。ネットに載っている彼女の顔は昔と変わらない。東洋人の方が白人や黒人よりも、子供の頃と変わらない感じがする。香港系の同級生はフェイスブックの友人として時々連絡を取り合う。中国文化からの影響はこの頃から自分にある。
時代が変わって生き方も変われば、思想も変わる。私たち同級生たちは、いろいろなニュースを見て、自分の意見で見方を選ぶのに慣れて行った。毛沢東のその時代の言葉を聞くと、懐かしいと思うところもあるが、かつての時代の言葉だと思ってしまう。普遍的なものはない。今は新しい時代に入りかけている。それには新しい自分の言葉がある。
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