Fleetwood MacのDanny Kirwanについて

ギネス世界記録でロック史上最も売れたアルバムを作ったロック・バンドの天才ギタリストが一文無しのホームレスになって人生が終わってしまった話。
今年の6月にFleetwood MacのDanny Kirwanが亡くなっていたことはどれくらいの人が気が付いただろうか?Fleetwood Macはイギリスのブルース・バンドとして始まり、アメリカではGrateful Deadなどと長いサイケデリックなジャムセッションをするバンドになってから、ギネス世界記録でロック史上最も売れたアルバム(「噂」)を出したバンドになった。
しかし、Danny Kirwanは人生のほとのどをホームレスとしてストリートで生活をして、夜はホームレスのための施設で寝ていた。Fleetwood Macがナンバー・ワンになり、アルバム・セールズはビートルス等をはるかに超えるほどになっても音源の権利や作詞作曲の権利も悪徳なマネージャーに契約で渡してしまっていた。ほとんど一文無しで寝るところもなく、人生ののほとんどを過ごした。1998年にはFleetwood Macのギタリスト・シンガー・ソングライターとしてRock and Roll Hall of Fame ロックの殿堂入りのアーチストになったが、彼はそのセレモニーに姿を現さなかった。彼のギターの演奏と曲作りはFleetwood Macのサウンドを変えて、ロック史に大きな影響を与えた人だった。

どうしてこんな人生になったのだろうか?

Fleetwood Macは初期の時代ではギタリストのPeter Greenが天才ギタリストだと常に言われていたことにプレシャーを感じて、16歳でブルースを弾いていたギタリストDanny Kirwanをバンド・メンバーにした。当時の映像を見るとDanny Kirwanが当時の代表曲"Oh Well", "Green Maharishi", "Albatross" などのリード・ギターを弾いている。

Peter Green がドラッグとツアーのプレシャーで精神的に不安定になり、精神病院を出入りしたり、ホームレスとして公園のベンチなどで寝泊まりをし始めると、Danny Kirwanがメインのシンガー・ソングライター・ギタリストになる。

僕は小学5年生の時に初めて彼が演奏するレコードを聴いた。とてもピュアでイノセントな少年の響きが魅力的だった。これほど美しいポップスはなかなか他にないと思った。彼はFleetwood Macのアルバムではメインのソングライターの一人で、その内、特に2枚は彼の作品と歌とギターが中心だった。バンドのサウンドはブルースからメロディアスなポップスとサイケデリックなロックに変わった。ここから独特なFleetwood Mac サウンドになった。僕の持っている1970年代前半のFleetwood Macのソングブックのほとんどの曲は彼の作詞作曲の曲だ。

しかし、他のメンバーによると彼はDeadly Serious(くそ真面目)な性格で、リズム・ギタリストにチューニングがまた合っていないじゃないか、と怒ってギターを投げたり、怒鳴ったりした理由で、ドラマー以外のバンド・メンバーは誰も彼に口を利かなくなったと言われている。
仕方なしに、ドラマーのMick Fleetwoodは彼を首にしてしまった。

Dannyは大きなショックを受けたと言われている。その次に、あるマネジャーと契約をするが、彼の音楽の録音権利や音楽出版権利を全部取られてしまったと言われている。
人間不信になった彼はロンドンのある街角でホームレスとして見られるという話が広まった。時々、彼を探す人たちがいた。「君が昔あのFleetwood Macのギターをやっていたんだってね?」と人が訪ねると、ビール瓶など投げてしまうという噂だった。話に成功する人がいると「どっちみち、若いころも住む家がなかった」と答えていたらしい。

他のFleetwod Macのギタリスト達はどうなっただろうか?ビートルズを超えるギネスブックの記録を破るほどのセールズがあったバンドだったら、きっと良い生活ができたと人は思うだろうか?

Danny Kirwanと同時代にFleetwood Macでリズム・ギターを担当していたBob Welchは2012年にピストルで自殺した。同じ2012年にDanny Kirwanの代わりにリード・ギターを担当したBob Westonは自宅で死んでいたのが見つかった。Jeremy SpencerはChildren of Godという新興宗教団体に加入して音楽の世界から姿を消した。”Black Magic Woman"等を書いたPeter Greenも長年ホームレスとして生活していたが、Mick Fleetwoodは彼が生活できるようにお金の面倒をみたと言われている。そして、音楽の生活に伝説として復活して、日本にも来日した。彼はロックの殿堂入りのアーチストになった。今年、最も売れていた時期のギタリスト、Lindsey Buckinghamが首にされた。

後で加入した女性ヴォーカリストStevie Nicksは今年から"Station Man"等Danny Kirwanが作曲した曲をFleetwood Macで復活させると語っている。
Peter GreenはDanny Kirwanがそうなってしまった責任は自分たちにもあったと語っている。Danny Kirwanは不安定な家庭で育ち、子供の頃よく殴られていた。16歳でブルース・ギタリストとして注目されて、間もなくPeter GreenがFleetwood Macに誘った。「彼はまだ若すぎた。ロックンロールの生活が彼の不安定な性格をより危なくした。」
亡くなった後に、Mick Fleetwoodは「彼はFleetwood MacのFoundation (ベースとなる)サウンドの一部を作った男だった。ありがとう。」と書いた。

Fleetwood Macで彼が参加した最後のアルバムではDustという3分間のポップ・ソングを次の言葉で作詞作曲した。その歌詞の意味を直訳してみた。

Dust (イギリス英語ではホコリという意味だけではなくゴミという意味で使われている)

私たちの内なる炎が消えて
世界の喜びを求める力を失うと
暗闇の中で硬くなって行く
一人だけの夜でバラバラに崩れていく
伸びやかな髪の毛が死にとどまり
呼吸の働きが静まり
唇が崩れて曲がってしまう

私たちがゴミになり
ホコリになっていく
私たちがゴミになり
ホコリになっていく

この曲が入っているアルバム「Bare Trees」はミリオンセラーになった。その頃、Danny Kirwanはホームレスとしてホコリとゴミの中で生活していた。

まず、は次の音源を聴いてほしい。
このアルバムの大部分の曲はDanny Kirwan作詞作曲で、メインの歌とギターを担当している。
僕には10代後半のイノセンスが音楽から伝わってくる。


Fleetwood Mac - Future Games (Full album)


Danny Kirwan Dust 1972


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