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非行少年だった息子が社長になった話#3(非行少年と呼ばれて)
シングルマザーになった私ですが、精神的にはとても楽になっていた気がします。
でもまぁ、乳幼児~反抗期に差し掛かる3人の子がいたのと、保育士というハードな仕事でくたくたではありました。
同居生活
離婚後も、元夫と子どもたちは頻繁に面会していました。
離れて寂しくなったせいか、元夫は穏やかな状態で子どもたちと関わるようになっていました。
私も、そんな元夫の状態では長男と会わせることに不安は感じず、長男自身も別居という安心感もあってかその時だけの父親との交流を楽しんでいたようでした。
・安易な決断
そんな日々を2年過ごし、元夫から
「やり直ししたい」
と申し出があったのですが、正直とても迷いました。
どうしても、この穏やかな状態が今だけのような気がして、また元にもどるというのは正直不安でした。
それでも、娘たちにとっては大好きなパパでしたし、息子も中学生になれば少しずつ関係性を修復していけるかな?と淡い期待もあり、籍は抜いたままの事実婚という形で同居生活を始めました。
・荒れ放題の中学生男子
中学生になった長男は、ある意味学校生活を満喫していました。
家庭はやはり居心地値が悪かったのか、友達といる時間が長く帰宅は夜になってたびたび補導されていたので、私は警察に何度も呼び出されていました。
こう書くと、
「どれだけ手の付けられない息子だったの?!」
と思われるかもしれませんが、長男と私の関係性は良好でした。
んー、それも語弊がありそうですが💦
ただ、父親と息子の距離は逆にどんどん離れていきました。
やっぱり元夫は、長男との関係改善のための努力はしませんでした。
元夫は、夜帰って来る長男に対してスルーを決め込み、叱るでもなく声をかけるでもなく、「無視」という卑怯な父親になりました。
非行少年の母仲間
中学校生活では、飲酒喫煙、夜間徘徊で警察のお世話になってきた長男でしたし、そのたびに警察に引き取りに行くのは私でした。
非行少年にもそれぞれ親がいるわけですが、引き取り時に警察で会うのはだいたい母親でした。
そして顔を合わせているうちに、母親同志の関係性ができていきました。
不思議と、自分と似たタイプの母親ばかりだった気がします。
そして実際、中学生時代のこの母親たちとの絆は、私にとっては大きな心の支えになっていました。
・お泊り会
母親同士が連絡を取り合うような関係になったことで、不思議と息子たちはそれ以上大きく道を外れるようなことには繋がらなかったんだと思います。
週末になると、順番に仲間の家に泊まりに行くという”お泊り会”も自然と始まっていました。
”家から出ない””飲酒喫煙はしない”という2つのルールだけにして、夜は起きていてもいいことにしていました。
むさくるしいけどまだまだ可愛いもので、ほとんどゲームしているか、マンガを読んでいるか、ご飯やお菓子を食べているか…といった感じで泊まっていきました。
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母親のやることは、他の家にお世話になるときに何かしら食糧を持たせるのが暗黙のルールでしたので、私はよく大袋のウインナーやパンを持たせていました。
非行少年の仲間意識
話が前後しますが、長男は卒業後のある事件をきっかけに、誰からも信用されない時期がありました。
嘘をついて人からお金を借りて返さなかったり…
中学時代のこの仲間達に対しても借金作り、踏み倒そうとするなどひどい時期がありました。
・真の友情
長男が18歳~19歳の頃というのは、自暴自棄になってしまい仲間にも嘘をついたり傷つけるなどして、人間不信で人生の絶不調の中にいました。
それでも、中学時代の仲間は長男のことを気にかけ連絡を取り合い、むしろ長男が彼らを傷つける行為をしてしまったというのに励ましたり味方でいてくれようとしていました。
その事件のあった後というのは、私が長男に対しての恐怖心があったので、親の言葉なんてもちろん届けようがありません。
恥ずかしながら、私自身がどれほど彼らを頼りにしていたかわかりません。
親以上に、長男のことを見捨てず支えようとしてくれました。
中学時代、この子たちは警察のお世話になるような”非行少年”で教員からは社会不適合者だと烙印を押され、人生に悪影響を及ぼすだろうと罵られてきました。
確かに、そういう面があったのは事実です。
ところが26歳になった現在、長男にとって中学生時代という思春期に育まれた仲間との友情、信頼関係は一生の宝物となって今も人生を支え続けています。
・男の友情は厚い
男女で性別を分けて話すのは、このご時世ナンセンスだと承知の上で話します(笑)
男の友情は、世間一般的に語られている通り本当に厚いものだと思います。
それは、長男たち非行少年と呼ばれてきた彼らを「仲間」として見ているとつくづく思います。
だから、中学校の先生たちに一言!
彼らを引き離そうと画策するのはやめてください(笑)
高卒という学歴
長男に対して、勉強しなさいと言ってこなかったのは親としての責任放棄になるのかもしれません。
また、非行行為や夜間徘徊など徹底して禁止していれば抑えられたのかもしれませんね。
ですが、そもそも夫婦関係がうまくいっていない親のもと、特に父親に対する嫌悪感がある長男に対して倫理的なことを説くのに説得力のかけらもなかった家庭でした。
・「高校は出ておけ」は正しい?
学歴が大事かと言われると賛否両論ありますが、自己紹介記事を読んでいただければご理解いただけるように、私自身は
「学歴はさほど関係ない」
というスタンスでした。
反対に、一般的な意見として
「高校くらいは出ておきなさい」
と言っていたのは父親でした。
その親の考えとは関係なく、すでに高校に行かない選択をしていた長男でした。
・高校に行く理由がない
義務教育ではない高校は、自分の意志で学ぶことが大事ですよね。
理屈でそれをわかっていた長男の言い分としては、
「もう勉強はしたくないから高校には行かない」
ということでした。
私は、それならそれでいいと言いました。
ただ、最後まで父親はそんな選択をした長男に納得できない様子でした。
非行少年仲間の進路も、高校進学した子もいれば就職した子もいました。
そして今となってみれば、みんなそれぞれの人生でしっかり自立した生活を送っていると聞いています。
家庭を持ち、家族を養っているという話を聞くと尊敬します。
中学校生活を終えて
こうして、15の春に長男は永遠に”学生”という身分から離れることになりました。
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・卒業後の進路
近所のガソリンスタンドでの仕事を皮切りに、彼の自分探しの旅が始まりました。
職は転々としていましたが、地元では有名な悪ガキだったことで逆に声をかけてくれる会社があったという奇跡も起こりました。
ただ、長くは続きませんでした。
そして女の子との出会いも、長男を一瞬で変えてしまった要因でした。
人間性というのは、本質までもが突然大きく変わるものではないと思います。
でも、好きになった異性の存在は良くも悪くも偉大です。
良い方に変わってくれたら良かったのにな…
この話は#4で話しますね。
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