非行少年だった息子が銀座で社長になった話#7(ひとりぼっちの旅立ち)
ようやく話が後半に入りホッとしています。
ここからは、壊れた親子関係の修復作業、いい話の連発!…と言いたいところですがどうでしょう(笑)
18歳になったら
日本では、最近法律が変わって18歳で成人となりましたね。
そんな法律のできるはるか前、今から約8年前になりますが私が独断で決めていた子育てのルールのうち、
「18歳になったら家を出ること」
を発動したのは、長男が18歳と10ヶ月くらいの時でした。
1.ライオンの子育て?
しかも、話し合いとか段取りとか何も根回しすることなく、突然「追い出し」ました。
もちろん、予告はしていましたよ。
「18になったら家を出て行ってもらうからね」
まるで、ライオンが子どもを崖から突き落とす諺に似てます。
我ながら、ライオンとリンクさせてくるとはさすが(笑)
長男は半分冗談だと思っていたことでしょう。
でも、鬼母の私が言うことですから半分は本気だとうすうす悟っていたかもしれません。
どうして、そう決めていたかって?
18歳というのは、中卒で社会人になった長男にとって独り立ちするには充分な年齢だったと思いますし、やはり時期を決めて家を出すことは自立を促す意味でも大事だと思っていたからです。
それに、事件やその後の仕事、借金、200万円事件…と、なにかとお騒がせな長男はいつも誰かに甘えていたと思います。
その”甘え”が良くない方向に向かわせていたんじゃないかと思っていたので、(私もなんだかんだ甘やかして育てましたので反省も込めて)心を鬼にして、家を出そうと決めていました。
2.盛大で静かな別れ
確か、その日は年末年始のあたりだったと思います。
その時はもう元夫とは完全に別れていたので、私はアパートを借りて娘2人と暮らしていました。
長男は基本的には家にいましたが、仕事が不規則でしたし一人暮らしの友達の家に泊めてもらうこともしょっちゅうで、ふらふらしている状態でした。
その日、帰宅したのが昼過ぎでした。
しかし、何か事件があったんです…(しまった!覚えていない!)
私が覚えているのは、帰宅した長男がインターホンを鳴らしたのですが私は鍵を開けませんでした。
なんでだっけ💦
そこで、ドア越しに言い合いになり、長男が警察と保護司さんを呼んだんです。
家の玄関前にお巡りさんと保護司、怒り狂っている長男…そして仕方なく玄関先で対応することになった私。
なんでこうなったんだっけ💦
長男は、私が家に入れないことを
「虐待だ!」
と訴えていたのを覚えています。
でも、私にもれっきとした理由があって(覚えていないけど)家に入れないことにしたはずなので、一歩も引かなかったんですよね。
しばらくして、困り果てているお巡りさんにはお引き取り頂いて、その後は保護司さんが長男を連れ出し話を聞いたりして落ち着かせてくれました。
その後もちろん家には入れなかったので、そんなふうに周りに迷惑ばかりかけていた私と長男は、その日を境にしばらく会うことなく連絡も途絶えました。
一度だけ連絡が来たとき
「銀座で働く」
と言ってそれきりになりました。
1年後は別人に
LINEも電話もなにもかも連絡を絶って、約1年が経とうとしていました。
「銀座で働く」というのは、地元でバイトしていたバーの仕事が楽しかったらしく、自分は飲食業でやっていきたいという気持ちがあったからでした。
それまで中卒だったら”ガテン系”の仕事しかないだろう、という周囲の刷り込みのせいで、長男は自分がやりたい仕事は何だろう?と、もがきまくっていたのかもしれません。
1.自分で見つけた道
母親として長男に向いている仕事は何だろう?とか考えたこともなかったし、やりたいことをちゃんと聞いたこともなかったと思います。
だけど、もがきながら自分でようやく見つけたのでしょう。
親が頼りないことを肯定するわけではないですが、親が心配しても仕方なく、子どもは自分で自分の道を切り開くんだということを証明したのだと思います。
良くも悪くも、親の思い通りの人生なんて子どもは生きてくれません。
長男は熱意を買われ、家から追い出されて行き場がないこともあり、未成年(当時19歳)ながらとある銀座のバーを経営する会社の社長に拾ってもらいました。
ここから、長男は銀座で生きていくことになります。
2.逃げないという決意
銀座に出てから、最初はバーテンダーを目指してお酒の勉強をしていました。
ただ未成年でお酒を飲ませるわけにはいかないということで、系列会社のバーラウンジのほうでボーイを主にやっていたようです。
長男の仕事ぶりは全くわかりませんが、昔のように彼女と遊ぶために仕事をさぼるような勤務態度ではなかったようです。
その証拠に、20歳になった頃にきた長男からのLINEでは、社内の人事で全員一致で昇進が決まったと嬉しそうに教えてくれました。
その後は、順調に営業部長などの役職につき、一店舗を独立会社にして任されることになります。
いわゆる「社長」になるということです。
でも、それは長男にとって決して楽な生き方ではなかったはずです。
水商売は売り上げがすべての世界ですし、結果が出せなければ相当きついこともあり、「死のうと思った」時があった…と後になって打ち明けてくれました。
ただ、長男のなかではこの仕事に命を懸け、懸命に取り組むのは訳があったのですね。
私に送ってきたLINEをこっそりお見せします。
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