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はじめの一歩を認めてあげて

iQOSから前に吸っていたプルームテックプラスに変えてみました。気分的に。
タバコ吸わない人には分からないと思いますが、プルームテックは単位が1本ではなく1吸いなんです。だからやめ時を見失って、そのままずーっと吸うこともできてしまうんです。
その分、タバコ代がかさんでしまうので、どうしようかと悩んでいたところ、先っぽに差すタバコカプセルを「モミモミ」するとまた吸える、という話をネットで見つけて、さっそく試しています。うん、確かに。まだ吸える。

こういう裏技的なものって、最初にどうやって見つけるんですかね。
誰かが何かのタイミングで「モミモミ」したわけで、それが口コミで広まっていく、ということですが、その「モミモミ」をなぜやろうと思ったのか、「モミモミ」のはじめの一歩が知りたいです。

最初に発見した人が、よく納豆を食べようと思ったよねっていうよくある疑問と似てますね。

わたしはメロンに生ハムを乗せるという行為も、よくやろうとしたなって思います。
メロンってすごく美味しいから、あれで完成されているのに、そこにまだあのペラペラの一枚を乗せるという底知れぬ欲深さ。すでに完成されているものを、まだ未完成だととらえて、膨大にある素材の中からあのペラペラを選んだそのアイデア。当たり前をくつがえすその倫理に反した行動に芸術性を感じますし、違和感を見事に成立させたその感覚には尊敬の念すらおぼえます。甘いものとしょっぱいものを同時に口に入れることで、味覚が刺激され見事に調和されていくという未来を見通す力は、もはや人類が成せる技ではなく、神の領域。


地動説を唱えたガリレオが異端裁判にかけられたように、常識とは人を盲目にさせる一つの宗教的な一面もあるかもしれませんね。
恋は盲目と言いますが、それもある種のカルト宗教だとも言えなくはないと思います。カリスマ性にとらわれ(マインドコントロール)、時にはお金も差し出し(お布施)、時には痛い思いをさせられ(修行)、言うことを聞かなければ監禁される(説法)。
これは貢いだことがあり、男に殴られたことがあり、別れ話がこじれて部屋に閉じ込められたことがあるわたしの個人的な経験談でした。恋は盲目。困っちゃうよねー。

そしてわたしはろくな恋愛をしていない・・・。


常識って脆いですよね。
「常識的に考えて」という言葉こそ、自分の考えの押し付け。人の常識なんて知ったこっちゃないもの。
あらゆる分野で成功した人たちには「常識にとらわれない」と言う褒め言葉を使い、一般的な普通の人には「常識がない」という批判になる。
もちろん最低限、守らなくてはいけない常識はあります。でもそこを踏まえた上で飛び越えたアイデアを出す人への、はじめの一歩の風当たりは強い。
他人を認めることができない人って、こんなに多いんだなって思います。

だからわたしは、誰かのはじめの一歩を認めてあげたい。この先、出会う人たちの。



あ、でもメロンに生ハムは乗っけません。