記録《マグノリアと春の雨》


その日は雨。

小雨がぐずぐずと降り続く日だった。雫の生暖かさから春の訪れを感じると共に、気圧の変化か頭がちょっと痛くて気が重い。

余談だが、このように春先にかけて降る雨は「春の雨(ハルノアメ)」というらしい。それ以外の3月末から4月にかけて降る長雨のことを「春雨(ハルサメ)」と呼ぶのだという。

「春時雨(ハルシグレ)」「春霖(シュンリン)」「軽雨(ケイウ)」……日本人は「春に降る雨」の中にも、少しでも違いを見出だせば名前をつけずにはいられない性分のようだ。

***

傘を差そうか迷うほどの小雨が降る道すがら、ふっくらとした大きな蕾をつけたハクモクレンの木が目に留まった。

天を仰ぐ蕾たちはまだ固いものもあったが、見上げると綻びかけているものや、白色の花を咲かせているものもあった。甘い香りが雨の匂いと交ざって微かに漂ってくる。私はしばし足を止めて、原田マハ氏の短編集『ジヴェルニーの食卓』の「美しい墓」という一篇を思い出していた。

「美しい墓」はアンリ・マティスと女中マリアの物語なのだが、そこにマグノリアという白い花が登場する。マグノリアのマダムの下で働くマリアが、庭先から花をつけたマグノリアの枝を三輪切ってパラフィン紙に包み、マティスの邸宅を訪問したところから物語は始まる。描写の一つ一つが、マティスが愛した鮮やかな世界のこと、真っ白なマグノリアの花の匂いを伝えてくれる、私の大好きな物語だ。

単に白い花だからマグノリアを連想しただけだったが、調べたところマグノリアはモクレン科モクレン属の総称であり、ハクモクレンもマグノリアの一種らしい。物語に登場するマティスの《マグノリアのある静物》に描かれたマグノリアはタイサンボクで種は異なるものの、ハクモクレンと同属だと知った。

物語に登場するマティスの静物画《マグノリアのある静物》を観ても、ハクモクレンとはかなり趣が違う。翡翠色の花瓶にこんもりと活けてある青々とした葉に囲まれた一輪のマグノリアは丸々としていて、花弁も多い。鮮やかな赤を背景に、花瓶の後ろに配置されたオレンジの鍋、色とりどりの花瓶が、白のマグノリアをより鮮明に引き立たせる。


絵画の花は永遠に満開で、雨で落ちた花弁がぐちゃぐちゃに踏み潰されることも、萎れることもない。一方で現実のハクモクレンは咲いてから3日ほどで茶色くなってしまう、なんとも儚くて脆い純白の花だ。だがまっすぐ灰色の空を見上げ、雨露を含みしっとりと濡れる柔らかなハクモクレンの美しさも、私の中では絵画と同じように、恋に落ちたように夢中になる。

自然の美しさを永遠にしようと筆を動かすこと、言葉で風景を飾ること、春に降る雨に名前をつけることも、私は同じように美しい行為だと感じる。

マグノリアの中にハクモクレンとタイサンボクという区別があるように、私もいつか美しさの中に区別をつけて、名前をつけるようになるのだろうか。美術を学ぶ身として区別はつけられるようになりたいが、優劣はつけたくない。

そう思った記録。


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