ちょっと元気が出た話。
コロナへの不満と見せかけて、普段の不満がダダ漏れしてるだけなのでは…と一周まわって分からなくなっていた先週。
辛辣であればあるほど、納得すればするほど、毎日誰かが責められてることを自然なことと受け取ってしまってて、どこか無意識に自分もイライラしてた。だけど、このイライラの脱ぎ去り方はたぶんわかった。
もう誰に対する批判も耳に入れないこと。スルーすること。いいね!しないこと。
なるようになるし、今、自分自身が生きていけないわけではないし。コロナで生きていきにくくなった人に思いを馳せたところで、何か行動しなければ、なにも変わらない。
今回のことに繋がるのかは、いまいち微妙なんだけど、思い出したことが二つあって。
1個目は、高校三年生のとき、担任の先生に「受験勉強の鬱憤はなにで晴らせるかというと、勉強しかない。他の何かで一時的に解消したように見えても、すぐに勉強していないことがストレスになってくる。」って言われて納得したこと。
2個目は、社会人2〜3年目に気づいたこと。仕事で生まれた不満は職場の人に話すことでしかスッキリしない。どんなに信頼してる家族や友人に話してもどこかモヤモヤが残ってて。対して仲良くなくても職場の人から自分の不満に対して同意をもらえると、自分は間違ってないと安心した。家族や友人に話すって愚痴でしかないんだよね。まあただ、喋りたいだけの時もあるけど。モヤモヤするときは何かを変えたいのかも。
何繋がりでこの2つが頭に浮かぶのかはよく分からないけれど、マイナスからプラスにテンションを転換しようとするとなぜかいつも思い出す。
この2つと、コロナで感じたことの共通するところは…本質違ってきてませんか?向いてる方向あってる?っていう自分への問いかけなのかもしれない。自分が疲れてイライラし出したらまた思い出そう。
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