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新明解国語辞典 「一目」「実に」、そして「決め球」

発端はこちらの記事の、長い長いコメントから(笑)。

永遠に続くかと思われる数学専門の国語教師オニギリ氏との会話に出てきたものである(以降、オニギリ氏と呼ばせていただきます)。

見坊先生に対する、山田先生の敬意だと思われるものが『新明解』の随所にみられるんですよね。

記事『辞書を読むと文章力は上がる?』コメントより

そう言って、オニギリ氏が提示されたのが新明解の用例である。それについては後述する。

新明解国語辞典というのは三省堂が出している国語辞典である。前身は明解国語辞典。明解国語辞典は見坊豪紀氏が主として編んだ辞書で、山田忠雄氏、金田一春彦氏の協力を得て成された。用例の見坊、語釈の山田とも言われたが、明解国語辞典は語釈も含めてほとんどが見坊氏によるものであり、山田氏は主に校正をされていたようである。

ところがその後、見坊氏と山田氏は袂を分かつ。見坊氏が三省堂国語辞典を、山田氏が新明解国語辞典を編纂することになるのである。この「二人の道が別れた」というのは辞書界では有名な話である。

見坊氏の用例収集は他に類を見ず、独力で収集した用例は145万に達すると言われている。複数の新聞雑誌などを毎日毎日読み、今まで使われたことのないような言葉を集めていく。既存の言葉でも意味が違えば収集する。一日休むと新聞雑誌がたまるので休めないとはご本人の談である。

一方、山田氏の語釈もことに有名で、裏の意味までをすくい上げたのかというような語釈は賛否両論を招いた。新明解国語辞典は、山田氏の考えが詰まった辞書と言っていい。

その二人が道を分けることになった経緯は、著書「辞書になった男」に詳しい。山田氏が見坊氏を怒らせたというように見られていて、終生二人が交えることはなかったようだ。

さて。件の記事(のコメント)に戻る。

オニギリ氏も私も新明解国語辞典には興味津々でありついつい話が弾んだわけであるが、オニギリ氏は既に新明解国語辞典を通読していらっしゃる。そして冒頭に書いた次の言葉につながるのである。

見坊先生に対する、山田先生の敬意だと思われるものが『新明解』の随所にみられるんですよね。

記事『辞書を読むと文章力は上がる?』コメントより

それはどんな言葉であったろうか。



いちもく【一目】

「一目」。
用例:K氏に一目置く

この「K氏」は、見坊氏のことなのかな、と思います。

記事『辞書を読むと文章力は上がる?』コメントより

すごい!

と言うのが私の第一声である。「K」というと思わず夏目漱石の「こころ」を思い浮かべてしまうが、「こころ」の「K」に「氏」は付かない(はず。知らんけど)。通常は辞書の用例に「K氏」などとは書かないだろう。具体的なんだか抽象的なんだかわからない「K氏」などとは。「彼の博識に一目置く」とか、あるいは単に「彼に一目置く」でもいいはずである。となると気になるのはいつからこの用例は入っていたのかということだ(普通は気にしないかもしれないけど)。

そこで、こういうわけで調べてきたのである。図書館で。

明解国語辞典(初版) 1950年

まずは新明解の前身と言われた明解国語辞典である。

明解国語辞典
いち-もく④[一目](名)
(一)片目
(二)ひとめ。一見。
(三)碁盤の上の一つの石(目)

『明解国語辞典』

実にあっけない。用例はなし、である。このころ、用例はあまりなかったようである。その言葉の意味とするところを書いてある。それだけ、といった感じだ。


新明解国語辞典(初版) 1972年

さて。

本命の「新明解国語辞典 初版」である。

いったい何が書いてあるのだろう。こちらは実物も紹介しよう。

『新明解国語辞典』初版

なんと!
「K氏」がない!
画像では読みにくいので書き写してみる。

「一目置く〔=(A)勝負を始める前に、弱い方がまず石を一つ置く。(B)自分より優れた者として、敬意を払う〕」

『新明解国語辞典』初版

明解国語辞典ではなかった用例「一目置く」を加えている。だがここに「K氏」はない。だとすると「K氏」はいつ書き加えたのだろう。


新明解国語辞典(第二版) 1979年

第二版は初版と全く同じである。


新明解国語辞典(第三版) 1981年

第三版も初版と全く同じ。


新明解国語辞典(第四版) 1989年

こちらも所有している小型版を写してみよう。

『新明解国語辞典』第四版

そう。ここにようやく「K氏」が入ったのだ。

K氏に一目置く〔=
(a)K氏の方が少し強いので、先に石を一つ置かせてもらう。すなわち、K氏に後手になってもらう。
(b)自分よりすぐれた者として、K氏に敬意を払う〕」

辞書に改行はないんだが、見やすかろうと思って区切りで改行を入れてみた。太字は前版(第三版)から変更された箇所である。ピンポイントに「K氏」が付け加えられている。(a)はK氏を主にして丸々置き換わっている。「一目」の解説に「K氏」がなんと、4回も出てくるんである。この「K氏」に意味を求めるのは考えすぎだろうか。


新明解国語辞典(第五版) 1997年

ちなみに、第五版は第四版に同じである。そのまま踏襲している。山田氏は第五版の出る前年の1996年に他界されている。第五版編集途中であった。


新明解国語辞典(第七版) 2016年

第六版以降は山田氏が関係していない版ということになる。だが、「一目」の「K氏」に関する語釈に変化はない。


じつに【実に】

次に「実に」である。まずはオニギリ氏の指摘をご紹介する。

「じつに」
用例:この良友を失うのはじつに自分に取って大なる不幸であるとまで云った

この良友も、見坊先生のことだったらいいな、と思っています。

記事『辞書を読むと文章力は上がる?』コメントより

うーん。よく読み取られたものと感嘆する。先の「一目」にあった「K氏」は少々目を引くが、これはさらに一歩踏み込んで読まないと気付かないのではなかろうか。とにかくも、こちらも過去の語釈を調べてみたわけで。


明解国語辞典(初版) 1950年

じつ-に②【實に】(副)まことに。實際。全く。

『明解国語辞典』初版

予想通りというか、なんというか。語釈も短く用例もない。


新明解国語辞典(初版) 1972年

そして、新明解初版。

『新明解国語辞典』初版

え?
と、思わず叫びそうになる。

「良友」など跡形もない。
そしてあるのはこの言葉だ。

「助手の職にあること実に十七年〔=驚くべきことには十七年の長きにわたった。がまんさせる方もさせる方だが、がまんする方もする方だ、という感慨が含まれている〕」

『新明解国語辞典』初版

良友と比べてみると、全く逆の文章になっていた。

見坊氏を手伝うようになってから分かれるまでの十七年ということか。

山田氏が見坊氏を手伝うようになったのは昭和14年(1939年)(三省堂ぶっくれっと「『新明解国語辞典』を語る」P16)。そこから17年というと、昭和31年(1956年)。1956年というのは、明解国語辞典の改訂版(1952年)から4年ほど経った頃か。

見坊氏が山田氏に明解の方をやってくれと言ったのが、明解国語辞典改訂版から10年ほど経った頃ともあるが(三省堂ぶっくれっと「『新明解国語辞典』を語る」P16)、はて。この「一七年」は、いつからいつまでなのだろうか。


新明解国語辞典(第二版〜第三版) 1979年〜1981年

「一目」と同じく、こちらも第二版〜第三版までは初版と変わらない。「助手の職にあること実に十七年」となっている。


新明解国語辞典(第四版) 1989年

そして、第四版。

『新明解国語辞典』第四版

そう。やはり「実に」の例文も第四版で変わるのである。

「この良友を失うのは実に自分にとって大なる不幸であるとまで云った」

『新明解国語辞典』第四版

第四版で何があったのだろう。

先程から何度か次のものを参考にしている。

三省堂ぶっくれっと「『新明解国語辞典』を語る」

これも件のコメントでオニギリ氏から教えていただいたものであるが、この「『新明解国語辞典』を語る」は「新明解国語辞典(第四版)」の発行を記念して成されたもののようである。武藤康史氏の山田氏に対するインタビューという形式であるが、武藤氏はまだ第四版は読まれていないようであった。一方で初版は通読されている(のみならず「愛」の語釈を諳んじられている)。武藤氏が第四版についてどう感じられたのか、実に気になるところである。


新明解国語辞典(第五版) 1997年

ちなみに、第五版は第四版に同じである。そのまま踏襲している。ここまでは山田氏の手が入っている。


新明解国語辞典(第七版) 2016年

第六版を図書館で確認するのを忘れた。だが、第七版では次のように変わっているんである。

『新明解国語辞典』第七版

例文は次のように変わっている。

「君が辞めるのは実に残念だ/彼は実に愉快なやつだ/辞書の完成に至るまで実に半世紀に近い年月を要した」

『新明解国語辞典』第七版

第六版以降は山田氏が関係していないことは確かだ。うーむ。何故変えたのだろう。「K氏」の方は残っているんたが。


きめだま【決め球】

「決め球」の語釈であるが、次のようになっている。

『新明解国語辞典』第四版 「決め球」

一言。「ウィニングショット」とだけある。

そして「ウィニングショット」は…………。

『新明解国語辞典』第四版 「ウィニングショット」

語釈もあるが「決め球」とも書いている。

オニギリ氏はこう指摘する。

ただひとつ疑問なのが、【決め球】の語釈です。
あれほど、辞書の言い換え(【しぼむ】の説明が、すぼむ 【すぼむ】の説明が、しぼむ)を嫌った山田先生が、

【決め球】の語釈を「ウイニングショット」

と書いていますから。。。

記事『辞書を読むと文章力は上がる?』コメントより

そう。新明解国語辞典の編集方針にも次のようにある。

語釈 単なる文字の説明および堂堂めぐりを極力排し、文の形による語義の解明を大方針とした。

『新明解国語辞典』第四版

決め球=ウィニングショットとは、単なる文字の置き換えだろう。語釈にこだわった山田忠雄氏が何故この語釈に甘んじたのか。オニギリ氏の疑問はそこにあったと思われる。そこで調べて来たわけである。『新明解国語辞典』の前身となった『明解国語辞典』を。


明解国語辞典(初版) 1950年

では『明解国語辞典』ではどのように書かれていたのだろうか。

きめ-だま(0)【極球】(名)→ウィニングショット

ウィニングショット⑤[winning shot](名)[庭球で]勝利を得る、その人に獨特の打ちかた。極(キ)め球。

『明解国語辞典』初版

以上!

元になった『明解国語辞典』からの表記であったようだ。新明解の編集方針に「極力排し」とあるが、「明解」を全て見直すことも容易ならず一部はこのように残さざるを得なかったのかもしれない。あるいは、「決め球」という言葉そのものが、外国語由来の「ウィニングショット」に端を発するのかもしれない(知らんけど)。例えば、戦時中に敵国語として「ウィニングショット」と言えなかったので「決め球」と言った、とか(知らんけど)。その場合、「決め球」→「ウィニングショット」としても、さもありなんとも言えるかも…………しれない(知らんけど)。


他の辞書の「決め球」

この「決め球」について、他の辞書も引いてみた。

改訂 新潮国語辞典

きめ-だま【決(め)球《極(め)球】→ウィニングショット

『改訂 新潮国語辞典』 決め球

ウィニングショット(winning shot)(一)庭球で、かならず勝つ、得意の打ち方。きめだま。(二)野球で、投手が打者を打ち取る場合などに投げる得意の球。

『改訂 新潮国語辞典』 ウィニングショット

あ……。ほとんど同じ?

広辞苑 第七版

きめ-だま【決め球】野球で、ほぼ確実に相手を打ち取れるような球。ウイニング-ショット。「ーを欠く」

『広辞苑』第七版 決め球

ウイニング-ショット(和製語 winning shot)テニスなどで、試合を勝利に導く、良い当りのボール。また、野球で、投手が打者を打ちとるための、最も得意とする球。決め球。

『広辞苑』第七版 ウイニング-ショット

広辞苑は少し頑張りました。といってもこちらはかなり新しい版ではあるけど。


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