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小さい頃の夢って何でした?

今日は小さい頃の夢から考えたことを
書いていきます。

皆さんの小さい頃の夢は何でしたか?

幼少から年齢を重ねるうちに
だんだんと変化していったかもしれません。

私は将来の夢として思い描いたのはたった一つだけでして、小学校の先生でした。

きっと幾度となく将来の夢は?
と聞かれていたと思いますし、その時思いついたことを答えていたと思いますが、全く記憶にございません。唯一、小学校の先生という夢は大学生までずっと持ち続けていました。

でも今、私はスーパーで働く社員です。この職業に就きたかったのではなく、流れに任せて生きてきた結果の仕事です。今のところ、この仕事に就く意味をあまり見いだせておらず、
このまま「ライスワーク」だけを続けていくのか?と疑問を感じるようになりました。

そして、「ライフワーク」となる何かを求めて、色々模索を始めています。
現在取り組もうとしている事、勉強している事、
関わる人が変わり始めている今、

幼少期に想い描いた、小学校の先生になりたいという夢が少しリンクし始めていると感じています。


私が小学校の先生になりたいと思ったのは、小学校4年生の担任の先生の影響です。

小4の先生が私の個性を引き出してくれてとても人生が「楽」になり、見える景色が変わったのを感じました。

これは後付けで思ったことだと思いますが、たった1人の大人の影響でこんなに人は変われるんだというのを身をもって感じました。

中尾先生という30歳前後の独身の女の先生でした。どんな部分もその子の個性の一部として捉え、生徒と対等に関わり、もても愛情深い先生でした。

とにかくありのままで勝負だと。
どう思われるかを気にしない。
間違えるのは、大歓迎。
みんな違ってみんないい。十人十色。

先生はみんなの前でガハハとカバみたに大きな口をあけて大声で笑うし、
悲しい時はエンエン泣くし、
怒る時は顔を真っ赤にして怒る。
その先生の表情を今も鮮明に覚えているし、思い出すだけで声も聞こえてきそうなくらい。

そして、その先生の1番好きだったところが

ちょっとドジなところ
なんです。

これはめちゃくちゃ安心感がありました。完璧であらねば!という感じでガチガチ、そしてネガティブな感情を出さない子供だったので、
大人もこんな風に泣いたり怒ったり言いたいこと言うんだ~と思ったのを覚えています。

その時は言葉ではどう認識していたか分かりませんが、体感として、
あ、そのままでいいんや。
と肩の力が抜ける感覚がありました。感情も出していいんや。言いたいこと言うほうがいいんや。

そのたった一年で私は自分を解放する喜びをしりました。

多感な時期に、関わる大人の存在は偉大。
その時感じた、素敵、安心、好きという感覚は、
自分の素直な価値観なのかなと感じます。

今までずっと大切に心の中に持ち続けていて、今の学びや、コミュニティや、活動に繋がっていると感じます。

今は小学校の先生になりたいとは思っていないのですが、形を変えて今の夢に繋がっています。

今の私の夢は、孤独を感じているお母さんや子どもの居場所を作りたいということです。

安心感があって、自分を解放できて、個性を認め合える居場所。心の拠り所。

私が子どもの頃によく感じていた、
誰かと一緒にいるのに、
何だか寂しい気持ちを感じる。
何だか自分を出せない。ネガティブな感情を出せない、押し殺している、見ないようにしている。

自分を見失うことほど、孤独を感じることはないと思います。

その気持ちを表現されている絵本に出会いました。↓↓↓

この本を小学生向けにコンテンツとして出張授業などを行える資格もとりました。

かつての私のような
どこか孤独を感じる子どもたちに、
自分を好きでいる大切さ
自分で自分を応援できるようになる力
に気づくきっかけになってほしいと思います。

そして、その子どもを支えて一番側で見守る存在であるママ(パパ)の内面を見ていくお手伝いもしたい。心の状態を整えるお手伝いがしたい。変動が激しい社会で自分を見失っているママさんに向けて、マザーズコーチングを届けたいなと思っています。

ママが心の底から笑顔、
ご機嫌でいることが、
1番大事
☺️✨


ダラダラ書きました。(また後で清書しよう。)
ここまでお読みいただき
ありがとうございました!


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