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失恋がトラウマになっていた ⑤ 相手にとっては娯楽、私にとっては?
失恋相手の結婚を知ってから早くも1か月半が経った。
私はいつまで立ち止まって、執着したままなんだろう?
未だに日数数えてる自分が嫌になるし、悲しいのか、自分に絶望しているからなのか、腹立たしいのか、未練があるのか
どれかか全部なのかわからないけれども
未だに気にしている自分が腹立たしくて、悔しい。
相手は私のことは1ミクロンも覚えておらず、今の新婚生活を楽しんでいることだろう。
私はいつまで立ち止まって、執着したままなんだろう。
そこでふと考える。
相手にとっては一時的な娯楽の一つでしかなかったわけなのだけれど
私にとってはなんだったのか。
私はそもそも恋愛をしていたのか
相手のことが愛おしいとか、そういう好きだったのか本当にわからない。
でも
誕生日にはお祝いしたいし、旅行も一緒に行って楽しい時間を過ごしたいし
寝れないと言われると心配になるし、人間が嫌いとか病んだようなことを言うと心配になるし。
苦しんだり、悩んでたら話してほしいと思うし。
ちゃんと相手のことは想っていた。
これは私が大切な友人にも思うことと同じ。自分が力になれるなら支えたいと思う。
その一方でやることはやってるのに
やっぱりちゃんと付き合うっていう彼女の立場にはならなかったみたいで
待ち合わせにはいつも遅れるし、私の都合はおかまいなしで、他にも雑な扱いは受けるわで
そんなのが4年も続いて不信感も同時にあったのは確か。
それでも切れなかったのは、会社が同じで気まずくなりたくなかったからなのか
私が執着してしまったのか心の奥底では
泊まりで旅行したり、長電話したり、週末は一緒にいたり、
誕生日の日には何時に終わるかわからないのに私の仕事が終わるまでケーキ買って待っててくれたこともあったし、
こんなことしてるんだからお互いに遊びだけではなくていつか、、、とバカな妄想や期待、相手を信じたいと思ってしまったから。
でもたぶんちゃんと好きだったんだと思う。
私だけだったけど。
不信感が少しでもあれば信じてはいけないと学んだ。
自分の希望で彼は遊びだけではない、少なくとも人としては私という人間を個人として、心のある人間として見てくれていると思いたかったけれども
結局は娯楽の道具に過ぎなかった。
言葉ではそうじゃない、情でだらだらやっていたわけでもないとと言っていたけれども、結局そういうこと。
教訓として、本当に好きでもない人間、道具扱いをできる人間に対しても
あたかも心があるような行動ができる人はいる。
自分の希望、欲望だけで動いていても信用ができそうな人にふるまうことができる人がいると学びました。
私の感覚だと、【ここまでやってくれるんだから、全く私に対して気持ちないことはないだろう】と思ってしまったところもあるけれど
気持ちがなくてもできる人はいて、その真意はなにか本当に理解できないのだけれど
何か下心があって利己のために嘘の親切を見せることができる。と。
いつまで引きずるのか?
相手に対して、というより自分の中での処理が全然できていない。
今は、美容医療だったり、ジムだったり、副業だったり、勉強だったり
ブログやNOTE書いたり、美容リサーチしたり
とにかく何かしていない思い出してしまい落ち込んでしまう。
こうやって行動することは自分にはプラスになっているからエンジンになっていていいのかもしれないけど
いつまで私はこの感情とこの人のことを引きずるんだろう。情けない、悔しい、恥ずかしい。
相手に言いたいこと、いまだから聞きたいこともあるのだけれど
また会ったり、連絡とったところでどうせ何も響かないし
理解し合えることもないだろうから自分がしんどいだけだろうと思う。
次の出会いがあれば忘れるのかな~
転職の話もあるのだけれども、うまくいい形で進むので仕事で忘れるのが
今はいいのかもしれない。
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