男性社会について触れる

雑誌「臨床心理学135号」を読みました。
今回の特集は、『これからの時代を生きる高校生・大学生の処方箋』。
教職員や支援者向けに書かれている記事が多くて勉強になりました。

今回の記事の中で目に留まったのが、男性への性被害、男性社会の問題について書かれた二つ。

自分がそれに興味を持ったのは、身近な男性で社会的マイノリティの方がいたことが大きいです。

それまでは女性の集団の方がちょっと怖いイメージがありましたが、男性が男性に対して行う加害性はもっとひどい、と言われ、

なんとなくドラマなどで見るような男同士の嫉妬や確執のシーンを思い出したり(やられたらやり返す。倍返しだ!みたいなのがまかり通る所とか)、社会生活を送る男性同士の関係が女子のそれほど多様でないような様子を想像したりして、そうなのかもしれないと妙に納得した記憶があります。

さて、男性への性被害が隠蔽されがちな背景に、男性が青年期を男性集団の中で過ごす際に経験する加害を、「悪ふざけ」や「からかい」とする風潮があるというように書かれていました。

男性同士の中で、悪ふざけの対象が男性に向いた時、加害者や傍観者はそれを「からかっただけ」や「通過儀礼」として、被害者がその被害を訴えることを、まるでこれが耐えられないなら男社会から排除されても仕方なし、というような空気にさせると。

男子が性的な言葉を繰り返すような行動に対し、「これだから男子は〜」と、男性の幼稚さを表す言葉で済まし、しかもそれを男子らしさとして容認するような風潮は確かにありますよね。

また、別の記事で、男性社会における課題は、個人の問題ではなく、男性社会のグループダイナミクスによって引き起こされるとも書かれています。「ホモソーシャル概念」という書かれ方をしていましたが、一例を挙げると、「男は女を自分の所有物のように扱うものだ」「同性愛は排除するべき」など、支配的、画一的な概念を男性社会は有しており、その思考を外れることは孤立を免れない。みな、集団の概念から外れないように振る舞っているとも。

根深いものではありますが、多様性が認められつつある今、個々の人権意識を持ち、社会で声を挙げていくことによって、この考えを少しずつ変化させていく必要があると述べられていました。

学ばないと見えないもの、そのままになってしまいがちなものに触れる機会になりました。



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