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七夕の夜に。

ひどい恋愛をした後は、
もう恋なんてしない!!と思うのに、
気がつけば誰かと一緒に居たくなる。
それは二日酔いみたいだな、と思う。

前日に酷く酒を飲んだ輩は、
もう酒なんか飲まない!と豪語するくせに、
治ったら忘れて、また二日酔いになっているわけで。

不思議なものだと思う。

誰かに教わったわけでもなく、
誰かに惹かれたり、好きになったり、
一緒にいたくなったりする。

BLEACHという漫画の中に、
「お主は、初めて立った時の事を覚えて
 いるか?」
と問われるシーンがある。

そして、それを覚えてないのは本能だ、という。

恋愛も本能ならば。
避けては通れぬ道であるわけだが、
だからと言って酒は避けては通れる、、
(さけをさけてとおる、、笑)と思う。

一緒という漢字は、
一つの緒と書く。
一緒という字の重さを知る。

恋は下心、愛は中に心、なんても言う。

同級生が続々と結婚していき、
中には、おめでたい事に、子を授かる人もいる。

単純に、すごいな、と思う。
この人と一生、一緒に居たいと思える人を見つけること、
そしてそれを行動に移すこと、今の私には考えられない感覚だ。

愛し合っている人たちが、連れ添う
実は自分が大人になるまでよりも、
家族よりも長い時間を共有する事になる。

家族は半(ほぼ)強制だが、
連れ添う人を選ぶことは、自由だ。

だが、たまにではなく別れもあるわけで、
一度誓ったのに、離れてしまうのは少し悲しい。
そしてまた連れ添う人を見つける。
離婚も転職みたいなものだなと思う。

男は星の数ほどいるらしい。女も。
別れた人や、フラれた人を慰める決まり文句だ。

私は思う。
星の数ほどいたって、全員に会うことは叶わない。
たまたま道ですれ違う、
朝の満員電車で同じ車両にいる、
たまたまの店員、
そんな人を含めたって、到底絶対数には届かない。

そんな中で、出会い、認識し合い、仲を深める。
関係ができる。
友達になったり、ワンナイトでも何度もナイトであれ、
体の関係を持つ人なんか、かなり少数で、
大切な親友も、ひと握り。
そして、恋仲になる人、こんなのは極々少数だと思う。

だから、たとえマッチングアプリで出会ったとしたって、
その出会いは奇跡ではないのか?と思う。

星の数ほどいたって、星を手に入れるのは、
相当難しいらしい。

だが、私も抜かりなくその一員だが、
子供を授かるわけで、授かり育てられたわけで
経験していない私はそれがどんな感覚なのか
分からないし、想像もできない。

自分が育てられた事を、自分の子にするのだろうが。

であれば、私は大切に育ててもらったから、
大切に育ててあげられるのだろうが、
実際はわからない。

もし、子供とそりが合わなかったら。
もし、子供を可愛いと思わなかったら。
子供を十分に育ててあげられるだけの経済力が
私になかったら。

子が出来てからの人生は、
出来る前までの人生よりも長いはずだ。

人生が変わる。
価値基準が変わる。
生活が変わる。

子ができることは、死に近いと思ったりもした。

それまでの私は死ぬ、といより転生したのだろうか。
しかしこの世界に果たして輪廻転生があるのかもわからず、
死後は誰も知らない。
死したものしか知らない。
そうなれば、子の生は我の死ではない。

そんなに重くなく考えるのであれば、
童貞前後、と言ったところだろうな。

経済力がない事が、いまさらに怖い。
私だけならいいのだが。
これから一緒に居たい人ができて、
子供ができるかもしれない。

その時に、自分が、金なしヤリチンバンドマンだったら。
幸せにできないだろう事が辛い。
だが、今の自分の生活を壊して、
安定に走ろうとは思わない。

そもそも安定に退屈を感じ、サラリーマンを辞めて
フリーターになったわけだから、戻れないわけで。

漠然とした不安は、ふとした瞬間に訪れる。
ただ、2年もこんな生活を続ければ、
マネーストレスなり、その他のストレスに、
ある程度の耐性ができ、
今ではその思考を放棄する術を持った。

長期的な解決ではなく、たった今の解決。

人は、明日も明後日も、生きてると思っているだろう。
だから平気で、次回来店のクーポンなり、
ポイントカードなりを作り、渡している。

人間の一生は、意外と長い。
特にこの1900年代後半からの現代にかけて、
人間は凄まじく進化してきた。

たった10年でも見違えるし、
5年後にタイムスリップしても、着いていけない
のではないだろうか、と思う。

特に東京はそうだろう。
田舎でも、緑が減ったり、好きなお店がなくなったり、
誰かが引越したりしているだろう。

きっと結婚して、家庭を築く人もいるだろう。

そんな世界に生きていると、我々はずいぶん生きてきたんだな、と思う。

ひとつひとつ歳をとって、
脂肪が増えたり、シワが増えたり、
体力が衰えたり、
セックスが少し上手になったり、
ビールやコーヒーが飲めるようになったり。

気がつけば私は、今年で25歳。

100年生きるならば、4分の1年は生きてきた。

振り返ると、ずいぶんと色々な事があったし、
大人になったんだな、と思う。

大人になってからの人生は恐ろしく長く、
そして早い。

サラリーマンを辞めて、フリーターになり、
モデルを目指し始まって、2年が経とうとしている。

今の家も、2年の契約だから引っ越さなければいけない。

あっという間のようで、遠い昔のようだ。


この間にも、誰かを愛したり、愛されたり、
愛したいと思ったり、愛されたいと思ってきた。

人を愛すって、なんだろうな。

私は家族を愛している。
親友を愛している。
仕事は、愛していない。
だからと言って、自堕落的な生活を愛してもいない。

好きな食べ物は?特にない。
嫌いな食べ物も特にない。
アレルギーも、特にない。

平凡で、凡庸な様で、
脱サラしてモデルを目指すと言って、
その活動をしているわけで、
決して凡庸ではないと思う。

七夕の日。
2024年7月7日(日)。
東京は、一度人類は絶滅した方が良いと
思うほどの、酷暑であった。

歓楽街のカフェや避暑地はどこもいっぱいで、
私が行こうとしたコメダ珈琲に至っては、
16組も待っていた。

遊びに来ているのに、16組待ち。
待っている間に、汗は引きそうなものだが。

こんな酷暑では、織姫も彦星も会う気にならないだろうと考えたりもしたが、
それでも会うのが、愛なのだろうか。

東京の深夜、星はいつもより見えた。

1番光っているのは金星だろうか。
あの赤い星は、アルタイルで、蠍座だろうか。

地元の星が綺麗だった事を思い出していた。

光の速度は、1秒間で、地球7周半できるほど
の速度らしい。

その星が、核融合により爆発した光が地球に届いているわけで、
決して光っているわけではない。
その光が、何億光年も先の、想像もできないほどの
距離を跨いで、地球に降り注いでいる。

宇宙のことを考えたら、人間なんかはいかにちっぽけで、
矮小な存在なのだと思う。

たまに朝見かける、満員電車で喧嘩している会社員。
星の大きさや、壮大さ、地球の大きさなんかは
考えたことは無いのだろうな。

彼らを否定するわけでは無い。
彼らにとっては、そこが世界で、守るべき
範囲なのだ。
彼らに世界の広さや大きさ、壮大さを伝えたところで、理論的に知っている程度で
響くことは永劫ないだろう。

2024年の七夕は、都知事選挙の投票、開票日だった。
候補者の後援会等の方々は、一丸となり
候補者の当選!的なことを、短冊に書いたのだろうか。

もし、短冊が1人1枚なら、彼らの願いは、
天の川に流され、個人の幸せより、
都の命運を握る重要な一冊になったのだろう。

それはなんだか選挙みたいで、神様も、
「あー、あと1票が〜、一票の格差〜、」
とか言っているならば、私たちの願いは
絶対に叶わないものになるだろうな。

アパートの2階からみる、少しだけの星空。
東京では満天と言えるかもしれないそれらを見て、
そうだ、短冊、書いてないや、と思い出す。

短冊がないから、文房具の付箋で代用する。

竹もないじゃないか。

観葉植物の葉にそのまま貼ればいいか。

何を書こうか、考えた。

世界は広いだの、宇宙はすごいだのいう割には、
自分の幸せについてしか思いつかなかった。

私には、戦争を止めることはできないし、
年々酷くなる暑さを和らげることもできない。
もしかしたら起こるかもしれない、南海トラフ地震が
絶対に来ませんように、と祈ったところで、
それを止めることは誰にもできない。

私は都知事ではないから、
満員電車を改善したり、
待機児童をゼロにしたり、
議員の給与を低くしたりもできない。

私は、私という人格も、容姿も、ある程度満足している。
だからこれ以上のことは望まないし、
たとえモデルで成功しますように、と祈ったところで、
実行に移し、行動するのはあくまで私だ。

だから、願うこともしない。

いつも神社でお賽銭を投げ、手を合わせる時、
「頑張るんで、見守っててください」
と、決まっていう事にしている。

神様がどうこうしてくれるものでもないし、
どうにかしてくれるのであれば、今頃僧侶にでもなっている。

ただ、短冊に、見守ってて、と書くのは少し違う気がした。

ならばと思い叶えたいことを思い浮かべたが、
たくさん出てきてしまった。

モデルとして成功しますように、
海外のショーに出れますように、
いい人に出会え、続きますように、
お金が貯まりますように、
家族や友人が元気でいれますように、
全部、上手くいきますように。

思いついたらキリがなくて、
小さい付箋には、入り切らないし、
神様に、こいつ、強欲だな!と思われたくもない。

ならば、と思い、こう書いた。

「心が平穏で健康でありますように」

それを、窓際ですらない、名前も知らない観葉植物に貼り付け、電気を消し、目を瞑った。

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