見出し画像

自己紹介

似つかわしくない、タイトル画像はさて置き。
余談をふんだんに含む自己紹介、していきます。

1.私、爆誕。

旧イケメン父よ、昔の面影はいずこへ。

1999年。世界は終わらなかった。

今思えば、あんな根拠のないものを世界中が信じるなんて、そっち方がミラクルだと思う。
きっとあの頃は、今よりも情報が少なく、全員が情報を調べる術を持たなかったがために、そんな事が信じられたのかな、と思う。
素直だったんだね、ってこと。

今の人たち(一部であると信じたいが)は、SNSへの誹謗中傷、言葉という道具を凶器という自覚もなく、通り魔と化している。
私のTikTokアカウントもそう。
全くもって、平和ではない。参考までに。
www.tiktok.com/@ayuma_ouchi

きっと現代の子供は下校途中に四葉のクローバーを探したり、ザリガニを釣ったり、しないだろうな、そう思う。
じゃあ、私の幼少期はどうだったのか?

2.脳みそお花畑少年期

愛するマザーと歯がピアノ盤の私。

私、母から聞いた話によると、相当脳みそがお花畑な幼少期を過ごしていたらしい。

例えば

母からおつかいを頼まれ、
「お釣りで好きなもの買ってきな〜」
その一言により、コンビニで永遠に迷い続け、帰ってこない。

下校途中に暗くなるまでオタマジャクシ観察する。

母に道端の花を摘んで帰り、プレゼントする。
それが人の家の花壇だったこともあるが、
母が優しくダメだと教えてくれた。

一つ歳下の双子の妹に、ご飯を食べさせてあげるが、大好きなニンジンの時は
「にんじんは食べてもいい?」
と聞いて、許可をとり、食べる。

星の流れる予報の日は、道路に体育座りをして流れるのを母と妹と眺め、待つ。

うん、お花畑だね。
それにより完成した人格の土台は、能力を感受性に全振りしている、私きっとそんな感じ。

3.青春期

中学、高校は野球に打ち込んだ。
小学校の時、空手、水泳、バスケ、をしていたが、どれも部活にしたいほど好きでは無く、
中学校に上がった時、所属する部活に悩んでいた。
母からは
「野球部だけはお金かかるから、やめてね」
そう言われていたのに、野球部にする!そう言った時、母、心の底から”なんでやねん!”って思ったらしい。

理由は簡易的で、
小学校で転校してきて仲良くなった奴が
「おれ中学は野球部にするから一緒にやろうよ」
って誘ってきたから。なんて単純。

この出会いは、今思えば人生のターニングポイントだったと思う。
今でもその友人とは親友と家族の間くらいの関係で、きっとこれからも付き合いがあると思う。

結果、別に好きではない野球という部活動を、真面目に参加せず、ダラダラと続けたせいで、背番号すらもらえなかった中学時代だが、大切な友人は出来た。

高校は、家から近くて、父方母方共に祖父が自営をしていたということもあり、自然と商業系の高校を選んだ。
そこの野球部は歴史ある”古豪”と呼ばれる高校で、練習は厳しいことで有名だった。
ほとんど入る気は無かったが、他に入りたい部活も無く、
「これさ、今まで同じ部活だったけど、次グラウンドで対戦するってなったら、かっこよくね?」
そんな中学野球を共にした友人の一言により、野球部に所属してしまった。
なんとも単純。

高校ではそれなりに努力をしたつもりだったが、そもそもに他の人たちとはスタートの時点でレベルが違く、また背番号すら貰えなかった。
素敵な仲間には出会えたものの、あまり野球に対してはいい思い出は無い。
母、ごめんなさい笑。

大切な仲間が出来ました。

4.安定優良大手企業へ。

思春期の夢をずっと追い続けられる人を私はかなり尊敬する。
妹たちがそれだ。
ずっと成りたいと言っていた職業に、今、就いている。
高校、専門学校、就職。
この過程を、やりたい事が出来るには?
その逆算により、ある範囲内だけで悩み選択する事ができていた。
そして一貫しているという点に尊敬している。

一方の私は、というと
幼稚園の頃は、デカブルーになりたくて
(なぜブルーなのか、私にはそういう節がある。主人公を選ばない節が。)
小学校の頃は、大工さんや料理人に憧れた。
中学校では、料理人と思ったり、絵が好きだから画家かな〜と思ったりしていたが、強烈にやりたいわけでは無く、
夢を決めなければいけないという教育特有の風潮で、やるならこれかな〜くらいの感覚。

だから高校生になって、進路を決めなければいけない時、周りの友人たちは、
大学でも野球をするとか、
教師になりたいから大学に行くとか、
美容師になりたいから専門学校に行くとか、
やりたいことないし、部活の特待生の誘いが来ているから進学するか〜とか、
普通に就職するとか、そんな感じ。

私ね、本当に無かったの、やりたい事。
だからもうこれ以上勉強は嫌いだからしたくないし、
就職するならば大手の方がいいな、と。
でも商業系の高校だからこそ、就職にも有利な点があって、ここの高校からは1人必ず採用しますよ、的なものがある。
それには校内選考があり、送り出された人はほとんど必ず受かるわけだが、私、あまり真面目に勉強してきていないので、平均評定良く無く、校内選考の土台にすら乗らない。
クラスや◯◯委員会とかの長はよくやりましたでしたけどね。
それで、一か八か、校内選考のない、大手企業に受けてみた、そしたら受かっちゃった!ってのが私の就職活動。
校内選考なんてクソ食らえって感じですわな。
まぁ、一応その時、これまでとは比にならない程に勉強したわけだが。

それでめでたく、大手企業へ就職。
身内大歓喜。
友人も、あいつが?!みたいな感じ。

就職したらすぐ気がつく事があった。
“待って、大学より勉強するよねこれ”

就職は専門的な知識を要するために、
ゼロから勉強しなければならないし、
勉強しなければ足を引っ張るわけで、
周りに迷惑をかけるわけにもいかない。

必死に勉強して、バンバン仕事をこなし、2年目には後輩ができ、3年目には、職場でそれなりの”若手社員”になる事ができた。
仕事を任されることも、他の事業所から質問が来ることもあったりと、ちゃんとキャリアを積んでいた気がする。

そこで出会った1人の上司。
私はその人を、身近な人で初めて尊敬した。
本当に真面目で、家族思い。
仕事を先読みした立ち振る舞い。
誰にも角を立てず、必ず丸く治る。
努力を見せず、淡々と行い、なんでも無いような顔をする。

そんな上司に言われて本当に嬉しかった一言がある。
「大内くんってさ、真面目だよね」

私今の今まで、不真面目だと思って生きてきたし、自分とは対照的で、”武士”のような真面目さを持つ、憧れた人に、真面目だと言われだ事が今でも嬉しい。

私の「感受性豊か」という人格土台の上に
「仕事」「真面目」「努力」が載った。

そして同時期にお酒とタバコを覚え、週末は地元の友人たちと朝まで遊んだりする。
平日も先輩や就職してから出来た友人たちと夜更けまで飲み、カラオケやスナックをハシゴ。
そして週末は趣味を作り、スノーボードやら、釣りやら、ドライブやらをする。

当然にサラリーマンなので、上司たちと◯◯会という名目でたくさん酒を飲んだり、その中で立ち振る舞ったりする。

これにより、土台の上には「遊び」「マナー」も載った。

3つ年上の人生先輩、会社の後輩。慕ってくれている。

そんな私。
社会人になってから、好きなことを見つけた。

オシャレ好きだわ。

これがきっかけで、
でもなかなか勇気が出なかったり
遊び続けていたので貯金はなく、
会社員を続けていた。

よし、辞めよう。

5.大きな決断

辞めようと思ってからは、誰にも言わずに密かにお金を貯め、準備ができる直前に家族や仲の良い友人には打ち明けた。

母と父にも打ち明けた時、
母は”頑張れ” ”覚悟決めなよ”
背中を押してくれた。
父には”両手を挙げて頑張れとは言えない” と言われた。
当然の反応だな、と思う。

準備ができてから、会社に伝えた。

みんな相当びっくりしてたな〜笑笑

でも辞める理由を伝えた時、
「本当は引き止めたい。
これからまだまだ伸びると思うし、成長を楽しみにしていました。
だから辞めてほしく無い、という気持ちはあるけれども、
大内くんの意思が硬いのと、あなたの次のステージを見てみたい、そう思うから応援します。」

私、本当に素敵な企業にいたんだ。
そう思った。
上司に先に打ち明けて、その後に辞めるとみんなに公表した時。
たくさんの人が応援してくれた。
あと1ヶ月くらいで辞めるというのに、居心地は悪く無いし、
後輩をできる限り育ててから辞めようと思ったから、有給を消化せず、毎日後輩育成に時間を割いた。

そして、今までお世話になった人たち全員にメールを送った。
私の就いていた会社は、総勢1万人は裕に超える企業で、たくさんの事業所が至る所にある。
まぁ、なかなかの人数に送りましたね。
抜かりなく、Instagramのアカウント名を付けて。

1日、また1日と会社にいれる時間は短くなり
そのカウントダウンが寂しくも、嬉しくもあった。

会社の人に優しくされたり、メールに返信が来たり、応援されたり。
その度に蓄積された嬉しいのか寂しいのか分からない感情が溢れて涙をたくさん流した。

その時付き合っていた彼女。
初めて人をあんなに好きになった。
人として、大好きで愛していた。

ほぼ半同棲で、離れるのもしんどかった。
彼女は
「私遠距離向いてないの。でもあゆまとなら出来るかもしれないから挑戦したい。
夢を応援したいし。」
って言ってくれて、別れないで、半同棲から遠距離恋愛へと形は変わった。

そして会社を辞める日。
一社員が辞めるだけなのに、各職場必要な人員のみを残し、全員が手を止め、私の挨拶に耳を傾ける。
挨拶が終わり、たくさんの人と写真を撮り、握手やハグを交わし、出口まで拍手で見送られる。

たった4年半しか居なかった社員が、ここまで盛大に見送られる。
溢れる涙をどうにかこうにか、
“みんなが見ている前では泣かないようにしよう。”
そう思って抑え、事業所を出てから、声を出して泣いた。

私の人生の節目。
一つの章が終わった気がした。

退職時。もう泣きそうですね、

6.夢追う中で

結果的に、彼女とは遠距離から3ヶ月後、別れてしまった。
私のわがままで、彼女には辛い思いをさせてしまったことが申し訳なく思う。

別れた時、中学校からの友人が教えてくれた。
「この世には2人運命の人がいるんだって。
 1人目は、愛を教えてくれる人。
 2人目は、生涯一緒にいる人。」

誰がなんと言おうと、
あの人は私の運命の人で
あれは愛だった、と断言する。

それと20歳になって、自分で契約した愛車。
大好きでよくドライブに行ったし、たくさんの人を乗せた。
それも、手放した。

大切なもの、大切にしたかったもの。
全てを手放して、それでもやりたいことってなんだ。
そんなにこれを、おれやりたいのか。
夢を追った先に何があんだよ。

夢って、なんなんだよ。

でも、今、私、「楽しいか?」と聞かれると、
辛いけど楽しいと答えると思う。

そして、辞めたからこそ気が付けたものがたくさんある。
友人、家族、仲間、恋人。

痛い思いをしないと人は気がつけないらしい。

離れた時、その大切さに気がつくらしい。

手放して、それでも手の中にあるものは精いっぱい大切にしていきたい。
そして、これから手に入れようとしているもの。
夢の先。
その答えが、期待を裏切るクソみたいなモノだとしても、この過程があるから、私はいい経験だったな〜、と思えると思う。

今はその夢の先へ向けて、もがいているところ。
これからの私も、今までの私も、どうぞよろしくお願いします。

今の私。眉毛も髪の毛も無くなってしまった。

この記事が参加している募集

#自己紹介

229,106件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?