心底どうでもいい話(猫)
先日アトリエ日がたまたまハロウィンだったため、子供らの「今年はとても頑張ったのだから何かしてくれ」との要望でサッカー大会と宝探しと映画上映をすることに。
宝が何がいいか聞くと全員口を揃えて「画材!」と言ったので感心し、私も張り切っていい画材を入念に選んだ。コツはなるべく使うのが難しく、いいものを選ぶことだ。彼らはもうそれを使いこなす過程の面白さを、知っている。簡単で安直な画材は必要ない。子供は大人よりも本能的な向上心が強い。
今日はメルマガに書けることが何もない。
最低な書き出しであることは重々承知だけれども、1日悩んで考えたがないものはない。アトリエでは日々様々なことが起こっているのだが、最近ナイーブな事柄が多く、書くにはまだ時期的に早いとか、答えが出てないとか、この先がありそうだとか、そんなことばかりでまだ書くには至らない。
白状してしまうが、メルマガが本当に苦手だ。私は基本的に人に言いたいことなど何もない人間で、求められていることに答えることはむしろ得意なのだけれども、自分から話題を振って語りかけることが、何を話せばいいのか未だにわからない。
ということで、今回は万策尽きたため、至極しょうもない話をしようと思う。しょうもないが、アトリエの子供らはこの話題がなぜか大好物だ。
それは拙宅の飼い猫どもの話である。
「ペットの話かよ」という読み手のツッコミが聞こえてきそうだ。
偉そうに断言するのも恥ずかしいが、私にはアトリエと猫以外の日常的な話題が無い。プライベートなinstagramのアカウントにはもはや猫のことしかなく、非リア充っぷりが残念でならない。気づけば猫好き妙齢女のアカウントになってしまった。今回のメルマガはハズレの回と思って、何の期待もなく読んでいただきたい。
拙宅には13歳の雌猫おろちと、12歳雄猫スピカがいる。
まず13年前に大阪の心斎橋で妹と寿司を食べに行った途中、隣の店舗のイケメン店員が配管の裏で鳴き続ける子猫を発見、オロオロしていたところに遭遇した。目やにだらけで、弱々しい子猫。かつ昇天した前猫と同じサビ柄。
目が合うと、ミャアミャアと大きく鳴いた。
困るイケメン。
猫を飼うつもりは全くなかったのだけれども、気づけば「大丈夫です。私が病院に連れて行きますよ」といい人ぶった自分がいた。あーあと、ため息つく妹。
病院に行くと、「行先が決まっていなければ診察できません。」と言われる。妹宅には既に私が東京から連れて行った、プライド高く我が強い雌猫がいたため、致し方無くその場で私が引き取ることになった。
それが雌猫おろちとの出会いである。
「おろち」という名前は響きにあまり意味はなく、全部を丸っこいひらがなにして字面を可愛いくしたつもりだったが、まあ当然「オロチ」と捉えて大蛇のごときイメージを持たれてしまう。名は体を表すとは言い得て妙なもので、おろちは丸っこいがイカつい顔の小ぶりな猫に成長した。
彼女は私との暮らしを享受していると思う。私のことをいい感じの同居人と認識しており、信頼関係が成立している。おろちはよく言えば自立していて、悪く言えば私のことを完全に信頼しきっているわけではない。これは関係性というよりはもしろ、私の人間性への信頼度によると思われる。
雄猫スピカは、私が大阪からのその足で駅から歩いて帰宅している途中、コインパーキングの真ん中で弱々しく座っていた子猫だった。これまた目やにだらけでひと目で病気持ちの猫だとわかるし、車が行き交う駐車場にいる。しかし東京の真ん中で猫不可拙宅アパートには既におろちがいる。しかも私は当時ルームシェアをしていた。が、出会ってしまったので仕方ない。
ふうと深いため息をつき、両手は大荷物だったため上着のポケットにその子猫を入れた。こうして不意に、猫二匹と私の運命共同体チームが形成された。
雄猫には馴染みがなかったし、人間でも奇麗な名前の男性はいいなと思っていたので、このオトコにも奇麗な名前をつけよう。
当時の私が「ピ」という文字に強い憧れがあり、「ピ」という文字は最も宇宙的で天才的な響きの音だと思っていた。ピカソとピカビアがとても好きだったせいもあるかもしれない。そして私は乙女座で、第一等星がスピカだ。
白黒だし、きっと美しく立派な知性溢れた天才的な猫になるに違いない。画家が飼う猫としては、相応しいではないか。命の恩人である私に心は開くだろうし、いつか猫の絵なども描いたら画家っぽくてカッコイイ。
決まった。スピカだ!
全くもって、そんな猫には育たなかった。
無思考で無感情で第6感のようなものだけがあり、たまに意識が宇宙に飛んでしまって停止している、知性の欠片もない猫。絵に描く気になど、全くならない猫だった。
おろちにだけ心を開き私には全く懐かない。12年同居しているというのに、未だに目が合うと威嚇してくる。
「お、おはようスピカ。いい天気だね。健康かね?」
「シャーッ。ウウウウー」
「あら、スピカここにいたのか。新しい猫飯買ってきたから食べてみたまえ」
「シャーッ。ウウウウー」
「スピカー、缶詰とおやつだよ。爪研ぎもおろしたよ」
「シャーッ。ウウウウー」
私は人間に対しての許容範囲は狭いが、動物には広い方なのだ。お前のそのでっぷりした7キロの身体は、誰のおかげで維持できているのだ。トイレの砂もアレルギーだ鉱物だ粉塵だと入念に調べて選んでいるし、カシミヤのストールを寝床に貸してやっているし、湧水を私より優先的に与えているし、猫飯に至っては私の食費(納豆卵かけご飯)より高い(ラム肉)。奉仕精神が著しく低い私がここまでしてやっているのに、恩を仇で返すようなその態度は何だ。この恩知らずが!
私の虫の居所が悪い時、スピカとの喧嘩は勃発する。
彼は家の外で野良猫が彷徨いては玄関に入念に結界マーキングし、私が家にずっといるとストレスで私の靴全部にマーキングし、私が家にいない時もそれはそれでムカつくようでマーキングする。つまり、何か心が動けばマーキングする。
我々の関係に最も不穏さを生むのは、私の性癖である。
スピカの性格は好ましくないが、外見はすこぶる私好みである。何とかして触りたい。がっちりした大きな身体をホールドしたい。目の前でシャーと言われたい。
ダメだとわかってはいるが、2ヶ月に1度くらい欲求不満が爆発し、油断した隙を狙ってとっ捕まえて無理やり愛撫する。スピカ激怒、さらに信頼感は崩壊。悪循環だ。
しかしまあ、実のところ私はスピカと信頼関係を作ろうと思っていない。
たまに触りたい欲求を満たしてくれて、あとは健康ならそれでよい。風俗に通うような感じかもしれない。
何故か玉なしの彼は年に2回2週間だけ、強烈に発情する。さらに不可解なのは相手がおろちではなく私であることだ。彼は年に2週間だけ私に恋焦がれる。もう、私のことが好きで好きで仕方ない。触ってほしい。常にどこか身体の一部をくっつけておきたい。お尻をツンツンしてほしい。愛に応えてほしい。付き合って2週間の大学生カップルのようなモチベーション。
そう、我々は互いに性的欲求不満を解消し合うだけの関係なのだ。多くを他者に求めることから、愛情の歪みは生じる。誰も共感しないだろうが、私とスピカはそういう意味ではベストな関係性と言える。
何故かわからないが、アトリエの子供らは私とスピカの話が大好きで、よく聞いてくる。「今我々険悪だから、あんまりあいつの話したくない」などと言えば、目をキラキラさせてしつこく聞いてくる。飼い主と飼い猫の仲が悪い話の何がツボなのか、よくわからない。彼らはスピカのことを「あゆきのことを嫌いな猫」と呼ぶ。スピカの遠吠えや威嚇の動画を撮れと言うが、不穏な雰囲気なので、とてもそんなことができるムードではない。
私は最も苦しく人間嫌いだった子供時代、飼い猫と共にいる時だけが心休まる瞬間だった。その猫は18年間私の側で生きて、私の側でその命を全うした。彼女がいなければ正直言ってどうなっていたかわからない。大袈裟ではなく、この世に所在ない私にとってその猫は、この世に存在する動機のようなものだった。
その後猫を飼うつもりはなかったが、猫に恩返しをすることは決めていた。そういう経緯があったので、不本意だけれども仕方ない。ちなみに以前のメルマガでも書いたように、私の場合は諦めが好転していく。子供と関わることも、アトリエ運営も、猫との暮らしも、全てが諦めの先で起こった出来事だ。夢見て積極的に選んできた道ではない。
しかし、これらは全て私の人生を豊かにしてくれるし、時には満ち足りた気分を与えてくれる。全てが「成り行き」に過ぎないが、こうして私と繋がってくれた者たちには、やはり愛着のようなものは湧く。これも新たな発見だった。こうして私の人生は、私以外の存在によって満ちてゆく。それはきっと恩恵と呼ぶべきものなんだろう。
最後に、これは私が堀なつめさんに注文した猫の絵。お題は「蛍光イエローを使うこと」。最初スピカの顔があんまり滑稽で、なつめさんに「…ちょっとスピカの顔、面白すぎない?」と言うと、彼女も腹を抱えてギャハハと笑っていた。スピカのおかしなイメージが強すぎるようだ。今思うとそのままにしておけば良かったと思うが、おろちが霞んでしまうので絵としてはこれが良かったと思う。
それではみなさん、よい新月の夜を🌑何かをスッキリ解消するタイミングを予感させる夢が見れますように。次のメルマガは11月16日🌕です!