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noteフェス3日目振り返りレポ

最高のイベントだ…!

noteフェス3日目、私は本日から参加です。
いや~~~楽しい。
ちゃんとフェスって感じで、みんなで集まってわいわい騒げている感覚があります。

というわけで、振り返りをしていきましょう!
振り返るにはテーマが重いが、やったろうじゃないの!

体験価値のニューノーマル(龍崎翔子×鳥羽周作)

『ホテルプロデュ~サ~』と『レストランのオーナーシェフ』のおふたりが、それぞれの視点から、これからの『体験』はどのように変わっていくかを語るセッション。

ホテル、レストランと聞くと「コロナで大打撃!」「もうどうしたらいいか…」みたいな印象を受けますが、おふたりは

いや、普通に今までどおり。
ちゃんと価値を提供していくだけです。
逆にニューノーマルってなんだろう、みたいな。

え…!?強……!?何……!?

おふたりとも、単にホテル、レストランをやっているのではなくて、どういう要素を持っていて、どうすればそれが広がるのか、何と組み合わせていきたいのか、ということをよく考えておられるように感じました。

どちらもオンラインをうまく活用して、

1.ユーザーに事前情報を与えて、想像してもらう(オンライン)
2.現地では想像したストーリーを追体験してもらう

というステップになっているように感じました。
龍崎さんのおっしゃった「予備知識があることで体験の解像度が上がる」というのがものすごく核心をついているなと思います。

私たちは普段から『知っているものしか見えていない』状態で暮らしています。
新しい言葉を知ったら、急に目につくようになるという現象と同じで、知っているからこそ見ることができる/気づくことができるようになります。

だから、事前にオンラインで体験の情報/ストーリー/考え方を提供しておく。
後日、現地で予想を超える実体験を味わわせる。

すると、体験価値が最大化される!

考えられているなぁ!
鳥羽さんのnoteに『圧倒的な戦略とロジックがある』と書かれていたとおりですね。

よく知ってから体験したいという人にも、予備知識無しで飛び込みたい!という人にも、オンラインの情報提供なら好きに選べる、というのも良いところです。

セッションを通して、やはりストーリーを語れるのが強いな、と思いました。
おふたりとも、自分のチームが生み出す価値を確信しておられて、その最大化に全力を尽くしておられる。
だからそれをきちんと発信していけば、顧客が良い体験を期待して、体感してくれる。

印象に残ったのは、龍崎さんの「企画の人間が"面白い仕事してるんだから人に伝えたい!"って勝手に発信してる」というところ。
企業発信のあり方としてものすごく理想的!
楽しいという気持ちを自然と伝えていけるのはすごく強いですね。

いや~どちらも行ってみたくなる、良いセッションでした。
モデレーターの最所さんがものすごくうまく進行されていて、びっくりしてしまいました。
奇抜でもなく、きちんと問いを具体化して、登壇者からうまく引き出しておられました。
MVP!拍手!

人間の輪郭を文学とテクノロジーから読み解く(平野啓一郎×松尾豊)

芥川賞作家である平野さんとAI研究の第一人者である松尾さんが、文学とテクノロジーの2つの視点から人間の知性を考えるセッション。

難易度が!!
高い!!!!

一般向けの大学講義くらいの難しさはあったんじゃないでしょうか。
モデレーターの加藤さんと平野さんが、研究者の松尾さんの胸を借りているというような構図で、松尾さんから最先端のAI研究がどういう姿なのかを教えていただく、というような雰囲気でした。

松尾先生は、AIを考えていると自然と人間の知性を考えなければならなくなる、ということだと思うんですが、非常に哲学っぽい視点で話しておられるな、という印象でした。
”言葉では思考を表しきれていない”とか、”言語によって知覚が刺激されて、それによって言語を理解している”とか。

私たちは当たり前に言語に触れているので気づきにくいですが、言語というのは意外と不自由です。
思考はどうしても曖昧さを含んでいるものですが、それを言語に落とし込むことで、曖昧さが削ぎ落とされてしまう。
表しきれない思考を捨てながらコミュニケーションすることしか、言語には許されていないんですね。

心というのがキーワードとして登場しましたが、これも難しいですね。
松尾先生のおっしゃるように「そもそも心とは何か」という話をしないといけません。

他人が心を持っているかどうかは、表層的な反応、表情や動き、あるいは思考を表しきれない言語に頼るほかありません。
これでは、心というものを他者に発見することは困難です。
相手がたまたま上手く反応しているだけではないと、いったいどうして証明できるでしょうか?

では自分についてはどうでしょう。
自分についても『我思う故に我あり』なんていうのは簡単ですが、しかしそこで『思っている自分はたしかに存在する』というだけでは、『存在する』ということしかわからず、心とは一体どういうものなのかを知ることができません。

心という毎日聞いているものの所在だって、私は全く知らないまま生きることを選んだんだ。と椎名林檎は歌っています。

また、身体性についての議論も注目です。
『心を得るには身体が必要なのか?』
人間には、身体は必須と思います。
私たちは多くの感情を身体感覚に頼っています。嬉しくてはつらつとして、悲しくて体が動かなくなります。
よくわからない心の動きを、身体感覚として捉えることで、知覚しやすい形に写し取っているともいえます。

だけど、それがAIにとってどうなのかはわかりません。
はじめから身体を必要としないようにデザインされていれば、あるいは身体は無くとも心を表すことができるかもしれません。

なかなか難しい議論ではありましたが、2点、押さえておきたいところがあります。

ひとつは、人間の神秘性の喪失。
ひとつは、テクノロジーによる人間の操作。

人間には神秘性があります。
それは才能とか、センスとか、性格とか、いろいろな言葉で表される、定量化できない何かの力です。
何かがあったとき「あの人は才能があるよね」「センスがあって羨ましい」「あなたはそういう人だよね」とあいまいに理由づけしてきたことについて、科学の発展がベールを暴いてしまうかもしれません。

「あの人は並行処理能力が普通より2倍優れていて、だからピアノが上手いらしいよ」
「あの人は脳の○○が活発だから、経理が向いているね」
「あなたの性格は、脳の活動量から見ると攻撃的なので、接客の仕事はできませんね」

これまであいまいさの中に逃していたものが、すべて定量化されて、明確な理由を与えられてしまうかもしれません。
それはなかなかセンシティブで、私たちから多くの夢を奪ってしまうかもしれません。
慣れてしまえばいいのかもしれませんが、慣れられるように準備はしておきたいところです。

もうひとつ、テクノロジーは人間を操作します。
正確には、テクノロジーを用いた人間が人間を操作します。

広告は、新しい価値観を生み出して、私たちがもっと満足感を得られるように誘導します。
ここにテクノロジーが組み合わせられることで、より強く、私たちは操作されることになります。
もちろん、それが単純に悪いことだとは思いません。
タバコをやめよう!という啓蒙活動だって印象操作を使いますが、健康には寄与します。
ただ、それは誰かにとって都合がいいように思想を作っているもので、様々な背景を持っています。
単純に踊らされるだけではなく、きちんと自分が何を欲望するのか、あるいは何を欲望したいのか、価値観を決めておく必要がありそうです。

おわりに

……と、いろいろ書いてきてみましたが、さすがに聞いたその日にまとめるのは難しいですね。
レポではなく感想文になってしまいました。
非常に学びの多い回でしたが、もう少し咀嚼の時間が必要です。

明日はついに最終日。
最後まで頑張っていきましょう!

#noteフェス #noteフェスサポリレー

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