【下書き供養】相対的貧しさ
相対的貧しさというのがあるけど、みんながみんなそうなるっていうのは良いことか。
無地のシャツとズボンが必要量支給されて、安いチェーン店くらいの食事ができて、お金のかからない趣味をしている、みたいな。
生産も消費もそこそこくらいで、そこそこの満足感を得ていて、劇的なことはなく生活している。
画一化された大量生産品を大量に使えるようになると、全体としてコスパは上がるんだろうか。
これまでは自由な市場があることが良い効果を生んできた。競争による品質改善、低価格化、ニーズとのマッチング……。
でも多くの製品がコモディティ化してきて、強いこだわりをもたないのなら大量生産品でほとんど賄うことができるようになってきた。流通網も(少なくとも先進国では)十分に整備されて、商品が容易に入手できる。
衣食住を、ある意味計画経済的に管理して画一化するほうが、コスパが良いんじゃなかろうか。中価格層のブランドを一掃することになるけど。
なお、ここでいうコストは経済的な意味じゃなく、資源的な意味。
いや経済的にも良いかも。どうだろう。
脱炭素とかカーボンニュートラルとか言ってるけど、大規模に大衆の行動変容を矯正して、さらに伴って産業もスクラップビルドしてしまえば、みんな貧しくて平和~にならんか。どうかな。
ユニクロくらいの商品で画一化できれば、地球規模では平均が上がってプラスに働く気がする。その品質を世界に安定供給できるような資源があるかはわからないけど。もっとダウングレードしないと難しいかな?
ただそうなると、今まさに相対的貧しさを感じて苦しんでいる人はより貧しくなってしまうので、精神衛生が最悪になるかも。
多様性にも逆行するから怒られるかなぁ。
そうなると「貧しくて豊か」みたいなライフスタイルを模索しないといけない。ただ貧しいだけにならないために。
あとは衣食住の担い手が必要なので、パッケージ化された生産ラインを各地に置いて、分散モジュール工場みたいな形で現地雇用現地生産現地消費にしてしまいたい。
うーむ、計画経済で省エネ、あるか?どうかな?
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