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わたしたちはどうやって考え事をしているんだろう?

ざっくりまとめ

魚=アイディア
海=脳内
思考=投網

アイディア出しって海で投網投げて魚取るのに似てるよね。

考え事は”まだ思いついていないこと”に期待している

わたしたちは(晩ごはんどうしようかな……)とか(この仕事どう進めようかな……)とか、いろいろなことを考える。
こういう考え事をしているとき、”何について考えるか”は自分で決めているけど、”その結果がどうなるのか”については、確信していない。
そもそも何らかの結果を予想できているのなら考え事は終わっており、それは知識でしかない。

つまり、思考はギャンブルである

と言ってしまうとちょっと煽り過ぎかもしれないけれど、考え事には”賭け”の要素が含まれている。
考え事の結果は約束されてないけれど、「なんとかなれーッ!!」という気持ちで考え始める。会心の結果が得られるかもしれないし、妥協して仕方なく終わることもあるかもしれない。「なんとかするぞ!」と前向きな気持ちを持っている場合や、「なんとかなるはず!」と期待値が高い場合はあるかもしれないけど、いつも結果は不確かだ。そういう不確かさは前提として受け入れたうえで、考え事に立ち向かっている。

noteを書く人や、企画を作る人にとっては親しんだことじゃないだろうか。
書き始めたら予想だにしない方向性に走り出してしまったり、ゴールが見えていると思った企画が最終的に全く別のものになっていたり……。考える過程はちっとも思い通りになりゃしない。

そう、思考とは海で投網を投げるのに似ている。

脳内は海、アイディアは魚

(急に何?と思われたかもしれませんが、例え話です。)

上の繰り返しだけど、自分の思考というのは、ある程度自分のコントロールを離れてしまっている。何を考えるかは自分で決めているけれど、結果が保証されていなくて、何かが得られることに賭けて挑戦する必要がある。

これは、水中にいるであろう魚を求めて、海に投網を投げることに似ている。
魚のいる位置は予測できるけど、はっきりとわかるわけではない。
アイディアもそうで、なんとなく上手くいきそうな方向性くらいは予想できるけど、アイディア自体ははっきりしない。

投網はある程度の範囲の魚しか捕まえられない。
思考も一度にすべてのアイディアは思いつけない。

投網は狙った魚が捕れることもあるし、狙ってない魚が捕れることもある。
アイディアが狙った通りにいったり、意外なものが浮かんだり、もはや言うまでもないだろう。

アイディアがたくさん捕れて嬉しいの図

だから、アイディアが足りないときは、投網を投げる回数を増やしたり、投げる位置を変えたり、狙う魚を変えたりすることが考えられる。

釣った魚そのまま出しても価値が伝わりにくい

さて、魚とアイディアを類比で考えると、調理や加工の大事さも見えてくる。

これ!ホッケ!と出されても、そもそもホッケだとわからない(私はホッケを開きで、しかも焼いた後の姿しか見たことがありません)。

これ!ホッケ!

だいたいの人は、ホッケと聞いたら開きを期待するんじゃないだろうか。生魚のままもらっても困ってしまう。そうですよね?俺だけが無知なのか?

アイディアもそう。
きちんと加工して、すぐ食べられる状態で、あるいはせめてすぐ調理ができる状態で出してもらわないと、その価値がわからない。生のホッケとか、開き方わかんないし。

すぐ食べられるホッケです。うれしいですね。

まず魚の獲り方から覚えよう

そして、魚にしてもアイディアにしても、まず安定して捕れるように獲り方を覚えるのが大切だ。

魚がいない場所に投網を投げても意味がない。
魚がいない時間に船を出しても意味がない。
魚を獲り続けるには投網のメンテナンスもいるし、早朝の漁を続けるなら生活習慣を整えないといけない。

組織だって魚獲ってる

組織であれば、全員で投網を投げるのは効率が悪い。
投網を投げる以外に、漁業計画を立てて、同業者と折衝して、船の準備をして、投網の整備をして、揚がった魚を分別して……と、それぞれの仕事を分業することができるし、分業をすることでデッカいことができる。
デッカい魚が捕れるかもしれないし、個人では運用できないデッカい網が使えるかもしれないし、広範囲に網を打てるかもしれない。

まとめ

アイディアは正しい獲り方で計画的に獲りましょう。
そしてちゃんと価値が伝わる状態で渡しましょう。

ご覧いただきありがとうございます! 知りたい内容などあればご連絡くださいね。