映画オッペンハイマー
観てきました。以下、思いついたことのなぐり書きです。
全体的な感想
前半は原爆開発ドキュメンタリー、後半は原爆開発にまつわる法廷サスペンス。
物語の構成はとてもきれい。作品賞というのもわかる。
時系列を行き来しながら物語が進んで、クライマックスで噛み合う瞬間まで、謎を残して観客を引っ張っていくのはお見事。
また、複線で話が進むわりには、物語が難解ではない。簡単でもないけど。
きっとノーラン監督らしい暗喩があちこちにあるんでしょうけれど、私にはほぼ読み取れていません。
180分は長い。登場人物も多いので、謎について開示されたときに(何してた人でしたっけ…)となってしまい、気持ちよくなりきれないところもある。これは実在の人物を描くから仕方ない部分はあるのかな。いや私の見る力が低いだけ…?
ボーア、ハイゼンベルク、フェルミ、アインシュタイン!著名な科学者のオンパレード!原子力分野では、核物理を学ぶ過程でこうした科学者の功績に多々触れますので、あー教科書で見た人たち~!と感動してしまいました。
”連鎖反応が無限に継続し、世界を焼き尽くすかもしれない”という仮説は、現代からすれば笑い話のようなもの。でも開発の現場では当然考えるよなぁ…と不思議な気持ちになる。起きた瞬間にすべてが破滅する反応が存在するかもしれない、というのは…想像を絶するように思います。まぁ原爆も文明終わらせるくらいのパワーはありますけども。
音関係
原爆起爆実験のカタルシスが、無音で表現されるのが面白いです。
それまで様々なストレス(留学時のホームシック、原爆開発の終盤、聴聞会での尋問など、)が、耳を覆いたくなるようなノイズで表現されてきましたが、前半生のピークである起爆実験の瞬間には、圧倒的な無音になる。
人生をかけて取り組んだ事業がまさに成功して、虚無に至る瞬間。これまで取り組んできたことが、成功裏に喪失される瞬間。カタルシスですねぇ~~~。
全体的にオッピーがストレスを受けているので、ノイジーな場面が多いんですが、うるさくしつつもセリフを邪魔していないので、そこらは音響が頑張ったんでしょうね。すばらしい。
原爆の起爆実験、音響のいいところで聞いたら耳が壊れそう。
ところで起爆実験のときのセリフ、わざわざセックスのシーンと重ねてますよね?原爆とセックスのカタルシスを重ねるのをやめろ~~~!!!
いやセリフの内容的に死についても重ねているのかな?
(原子力という圧倒的な力×セックスの暗示×死)のかけ合わせで、シーンの強度がモリモリ高まる!やったぁ~~~!
逆に、セックスという個人的な行為と重ねることで、原爆起爆実験という一大プロジェクトを、オッピー個人の所掌へと帰そうとする意図もあるかな?
深読みしてる時間が一番楽しいよな~~~~
出来事の退屈さの割に画面は退屈しない
オッペンハイマーはアクションが少なく、画面がつまらなくなるのではないかな、と心配していたんですが、そんなことはなかった。
なんでだろう、と思っていたんですが、構図で観客の心理に緩急を作っているせいかな?と感じます。
たとえば、オッピーの極端なアップは観客にストレスを与える。そこから広大な平野に出ると、ストレスが開放されて気持ちいい。(平野は薄暗いけど)
そうしたことの組み合わせで、緊張状態の波を作っているから、激しいアクションや物語上のイベントがなくても退屈しない時間になっているのかな。
機会があったらそういう視点に集中して見る機会も持ちたいけど、180分は…長いよ…。
オッペンハイマーは反戦・反原爆映画か?
私の視点ではNo。
これはあくまでも”オッペンハイマー”の物語。オッペンハイマーが軍縮を訴えたことは示されているけど、そこから「この映画は反戦映画か」というのは、評価軸を単純化しすぎだと思う。
ノーラン監督が”オッペンハイマー”という個人を描こうとするとき、「オッペンハイマーは反戦の人だった」という単純化はしないでしょうとも思う。
ひとりの人間を描いた結果として、複数の相反するメッセージが含まれる物語が生まれるというのは、さほど不思議なことでもないのではないかな?
というか、”原爆の開発者”であって”軍縮を訴えた”人物を主題としたら、その矛盾こそがテーマとなりますわね。
原爆の投下成功に狂喜する人々のグロテスクさ。投下後のオッピーの無力感。そうしたものから、オッペンハイマーの視点から見た、原爆以降の世界の暗部は示されていたんじゃないだろうか。
オッペンハイマーという”個人”が苦悩できるのは、あれが限界であったという見方もできるかもしれない。
というわけで、180分という長丁場ではありますが、相応の重厚さで観られるよい映画でした。さすがの完成度。拍手。これを機に戦争について考えよう!
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