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なぜ商社をやめて教員になろうと思ったか①


はじめに

「ブラック」と言われて久しい教育業界。
SNSを開けば「#教師のバトン」でのネガティブ投稿が溢れ返る。
教員の過重労働や暴力等不祥事のニュースも絶えない。
2023年度の公立学校教員採用試験の競争率は、過去最低の3.7倍。

そんな現実がある中、商社に勤めていた私が「わざわざ」なぜ教員を目指すのか、不思議がる人も周りには結構いた。
(採用試験でも面接官に聞かれた)
順調に教員免許が取得できれば、この4月から教壇に立てるであろう私の一番初めの記事に、その背景を残しておきたいと思います。
*書き始めたら長くなりすぎたので、2度に分けることにしました。

大学時代の塾講師経験

一番最初に教育(っぽいこと)に携わったのは大学時代。
大学の勉強はそこそこに、集団塾の講師のアルバイトに明け暮れた。
小4~中3対象の塾で、私は英語をはじめ文系科目を担当した。
職場には同年代のアルバイトの先生も多く、半ばサークル的なノリだった。
どうやったら生徒の成績が上がるか?生徒数を伸ばせるか?先生たちとがむしゃらに頑張っていたら、いつの間にか教室の生徒数が1.5倍位になった。受験の合格実績もすごく伸びた。
生徒にも保護者にも感謝される。塾内で表彰もされて、時給も爆上がり。
とても嬉しかったし、自分と同僚が誇らしかった。

でも、何よりも「生徒の人生に関われること」が一番のやりがいだった。

生徒の日々の表情や言動、授業中の姿勢、書いてくる作文…
全てが彼らの投げてくる「ボール」。それをこちらが拾って投げ返す。
そんな感じでキャッチボールをするうちに、生徒自身が自分で良い投げ方を習得していく。より速く、正確に、遠くに飛ばせる投げ方を。
少しずつだけど、本当に少しずつだけど変わっていく。
10代前半~中ごろという、今後の人生に大いに影響を与えうる時期。
良いことも悪いこともすぐに吸収できる、柔軟な時期。
その大切で貴重な時期に自分が関われるなんて、「教える」って何と責任ある、そして幸せな仕事だろうと思った。

入社~2度の産休・育休

大学の勉強を出来るだけラクしたかった怠惰な私は、教職単位取得なんて露程も考えず、さっさと4年で卒業した。
そして商社に入社。
なぜ商社かというと「海外に関わりたい」というありがちすぎる理由とともに、「多くの人に影響を与えられそう」と思ったから。

10年以上の勤務経験については長くなるので割愛するが、主に建設機械の海外営業やプロジェクトの仕事を担当した。
体力的にはきつかったが、やりがいのある仕事だったし、色んな経験をさせてもらえた。

でも結局、2人目の産休・育休を取得した後、退職することにした。
(育休まで頂いたくせに退職という結果で申し訳ないです…)

正直ベースで書くと、退職した大きな理由は、仕事と家庭の両立が上手く出来ると思えなかったから。
1人目を出産後に一度復職したが、時短勤務と言えどそれなりに忙しく、その分のしわ寄せが家庭(特に子ども)に行ってしまっていた。
元来、器用な人間ではないのに半ば強引に乗り切っていた(いや、全然乗り切れていなかった)ところ、2人目を産んで「あ、これ、無理かもな」と思ってしまった。
でも退職して社会との繋がりがなくなってしまうのが怖くて、ギリギリまで悩んでいたのも本当のところ…。

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