私の書き方・基本的なこと

私の書き方


不確かな情報だとおもってください

長年書いていると、その事柄が当たり前と思っていて情報源なんて必要ないと思っていることがある。なので「不確かな情報だ」と言われれば何も言えません。
もし間違ったことを書いていることに気が付いたら、お知らせいただければ有難いです。身勝手なお願いですが、その情報元なども添えていただけると嬉しいです。

個人的な感じ方で書くことが多々あります

何年か前に「サピエンス全史」なる本が話題になったことがありました。私は文字だけの本を読むのが苦手なので漫画バージョンを読みました。
この書籍について「著者の都合のいい論文等を繋ぎ合わせている」という指摘をネット上で読んだことがあります。
この指摘に私は「えっ?、論文、特に社会学のものはそういうものじゃないの?」と思ったものでした。

世の中、査読されたものだけでも無数の論文があります。その中から信頼できるものを(誤解を招く表現かもしれませんが)辻褄があるように考えてゆくのが科学というものだと私は思っています。

これと同様に、時にはご都合主義に見えることもあると思います。
忘れてはならない論点が欠けている場合、ご指摘いただければ幸いです。

難しい単語は分かりません

先にも書きましたが文字だけの本を読むのが苦手です。なので難しい単語を知りません。適切な表現ができずに回りくどい表現になることが多々あります。
そのため小学生でも理解できる内容になると思います。それくらいの人にも読んでほしいと願っています。

基本的なこと

以前「体系的に書きたいからnoteに書く」とか書いたと思います。
そうするつもりですが、それを行う前に、私が「動物との関わりを考える時に改めて考えるべきこと」と思うことをここに書いておきます。

以下の項目は、別途ページを設けて説明したいと思います。

「飼う」という言葉

私はこの言葉が嫌いです。
そのことを犬を迎えた 1994年から口にしていますが、心から同意してくれる人がほとんどいないのが残念でした。
1994年頃は(ネットは普及していなかったこともあり)しつけ関係の書籍が多々出版されましたが、それらに同様のことを書く先生はいませんでした。
2000年も近くなってきて小型犬ブームがやってくると、文筆家の方々が過去のこととしてポツリポツリと同様のことを書くようになりました。

「飼う」同様、ペット(愛玩動物)も長い間、理解出来ませんでしたが、二頭目の猫と暮らして少し理解出来た気になっています。
一時期「コンパニオンアニマル」が少し広まりましたが、長すぎるためか使う人がほとんどいなくなりました。

誰でも見えるところに書くなら調べてからにしてほしい

情報源を忘れてしまっても書いてしまう私が言っても説得力ありませんが、ちょっと調べただけの私でも「おいおい、そんな思い付きで力説しないで」と思う記事を目にすることがしばしばあります。
コロナ禍明けの今(2023年夏)は少し状況が落ち着いてきているように感じています。
最近は、ChatGPT など、過去の資料を一つ一つ調べなくてもまとめてくれるサービスがあるからか、あまりに酷い力説は少なくなったと感じていますが、以前は「動物関係の人は思い付きで力説する」と思われるだろうと想像していました。

倫理学的アプローチ

今まで偉そうなことを書いてきたかもしれない。肩書もない人間がそのようなことをしなければならないと感じることが多々あったから。
肩書のある人たちの発言の中にも、直前で書いた「調べてからにして」同様に「日常生活で考えてくれないかな?」とか「私の生活レベルでは無理」逆に「仕事がなくなった私には時間があって、それ以上のことが出来る」と思うことがある。
オープンに書かれていることなのに、一部の人達向け、または特別な瞬間のことを書いているとしかしか読めないものがある。おもわず「それはあなたの感想でしょ?」と言いたくなることがある。

もっと分かり易く表現しよう。
「読んでいて気分を害する」「マウントとりたいの?と感じる」「うんざり」、つまり「もう読みたくない」気持ちになる。

自分もそのような発言をしてしまわないように常に「倫理学的アプローチ」を心掛けるようにしている。
常識となっていること(改めて考える必要もないようなこと)も掘り下げて考えるようにしています。

そのために広く情報を集め、幅広い立場の人たちが読んでくださっていることを念頭に置くよう努めています。

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