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なりたい姿を明確に

私がかなり偏った人間であることは、自覚している。

顔のこと、身体のこと、犬のこと、食事のこと、仏教のこと、魂の話のこと、自然のこと、美しいモノのこと。
この辺りのことに関しては、永遠に喋れる。
それぞれの分野でマニアックな友人がいてくれて、私の偏った嗜好の共感者として私を満たしてくれる。

ピラティスでの発見

2年ほど前、週4日ほどピラティスに通っていた。
仕事が忙しくなり、だんだんと遠ざかっていたのだけれど、思う所有り、この5月からピラティス復活。
また週4日ほどせっせと通っている。

2年前、ピラティスに通っていたときは、
「身体の使い方の発見が面白い」
という理由で通っていた。
実は私はヨガのインストラクターの資格も持っていて、身体を使うことは得意だと思っていた。
子供の頃から身体も柔軟性が有り、ヨガのアーサナもそつなくこなせちゃう。
(今思い返すと恥ずかしいのですが、形ばかりに囚われているヨガでした)

ピラティスもヨガみたいなもんでしょ?
と思っていた私は、その違いの大きさにびっくりしたのを覚えている。

「あゆさん、それ、柔軟性があるんじゃなくて、○○が硬いから××が頑張りすぎているだけです」

できていたと思っていたポーズも、できていなかったことに気付かせてもらった。

このピラティスの先生が、まあ、マニアック。
理学療法士でもあるので、
「人の身体は元来こういう動きをするようにできている」
ということを、レッスンの合間に細かく教えてくださる。
私のマニアック好きが満たされ、毎回のレッスンは気付きの連続だ。

顔に活かせる

日々、自分の顔ヨガのレッスンをする中で、このピラティスの動きと考え方がとっても親和性があることに気付いた。

結局、顔も身体の一部なので、繋がっているから当たり前なんだけれど、今まで習ってきたヨガやその他のボディワークでは得られなかった感覚であった。

おそらく、先生の考え方、説明の仕方、身体の捉え方が、私の求めるものに通じていたのだと思う。
この辺は、もう相性としか言えないんだけれど。

だから毎回のピラティスのレッスンは顔への気付き力が敏感になるという、私にとっては趣味ではなくて「仕事」になっている。

なりたい姿を明確に

2年ぶりにピラティスを復活したきっかけは、実は全然別のところにあった。

昨年末、ボディラインがまったりしてきたのが気になり、21日間の食事制限のダイエットをしてみた。
超厳密な食事制限で、結果もそれなりに出たので、それはそれで満足したのだけれど
「そもそも、痩せる必要はなかったな。私は痩せたかったんじゃないな。ボディラインを変えたかったんだ」
ということに、やっと気づけた。

食事制限してただ痩せたいのではない
筋トレしてモリモリになりたいわけではない

しなやかで無理のない理にかなった女性らしい身体になりたいんだ
なんとなく丸みもあって、引き締まった身体がいい

インスタで見つけた素敵な身体の女性の写真を持って、
「私はこうなりたいんです。骨から意識して身体の使い方を徹底的に変えて、時間がかかってもいいので一生キレイでい続けられる身体の使い方をマスターしたい」
と、先生に宣言してピラティスを復活した。

漫然と
「なんかいい感じ~」
と思いながらするのもいいけれど、なりたい姿を明確にして、それを宣言して、だから協力してほしいとお願いして、取り組むと、結果は違ってくると思っている。

一人でやるのもいいけれど、人間だもの、モチベーションも下がることあるし、そもそも
「これで合ってるのかな?」
とわからなくなることもある。

そんな時、確認してくれる先生がいると安心だし、早いよね。

そんなわけで、私は今、せっせとピラティスに通っている。
今日やって明日変わるというものではなく、根本から変えていくので時間はかかるし地味だし。
でも、その過程も楽しく、方向性は間違っていないから安心している。

なりたい姿を明確にして、他人も巻き込みながら、変化していけるって、毎日がすでに楽しい。

これは身体に限らず何でもそうだと思うので、応用きくよね。
他の事にも使っていこう。

私がせっせと通っているスタジオはこちら


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