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今くすぶっていたとしても。

一気にタイムスリップした。

生徒さんの舞台公演があり、久しぶりに京都へ出かけた。
三条通を歩いていると、30年前がよみがえる。
学生時代に遊び倒していた京都の懐かしい匂いがした。

公演終わり、夜の三条通をふらふら歩いていると、お囃子の音が聞こえ、正面に山鉾が見えてきた。

復活した鷹山の山鉾

祇園祭のこと、すっかり忘れてた。
そして、まさかの鷹山に出会えるなんて!
今年、196年ぶりに鷹山が復活するって聞いていた。

ちょうど今日の午前中、所用があり、学生時代付き合ってた彼に連絡をしたところだった。
2人で京都で遊んでいたよな。
当時は、どうしようもないダメ男で、ふらふらしてた彼も、立派な大人になっている。
よくある話かもしれないけれど、人生ってどこを切り取るかで、見え方も変わってくる。

今、くすぶっていたとしても、たいしたことないやんな、と改めて思う。
あんなにどうしようもなかったダメ男も、尊敬される大人になってるやん。
私の子育ての悩みが吹っ飛ぶ事例だわ。

そんなことを考えながら、美しい鷹山を見てると、なんか泣けてきた。
鷹山を見ながら泣いている私は、おそらく鷹山の関係者に見えたかもしれない。
復活に感極まって泣いてるみたいな。

この涙は。
学生時代の懐かしさと、美しい鷹山を見ることができたからと、子育ての悩みがちっぽけに思えたことと。

今、くすぶっていたとしても、だからこそ輝ける時期も来るんじゃないのかな。
陰陽。
ダメ男も立派になってるし、鷹山だって196年ぶりの復活をしているやんか。

今日は素晴らしい日になった。
全部大丈夫に思えた。
大丈夫って思うために、京都へ導かれたのかもしれないわ。

私の魂もキラキラと輝き出した日になった。

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