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随想的写真生活 「初めて買ったカメラは、GRに似ていた」

昨年開催された、GRのオンラインイベント「GR SNAP WEEKEND Vol.2」。
トータル約12時間のアーカイブ配信を、正月休みに全て観た。
写真家、編集者、GRユーザーetc…が集い、写真愛、GR愛に満ちた、濃い内容だった。
RICOH GR というカメラのことを、知っている人は、知っている。
知らない人は、こちらのコンセプトムービーを観ていただければ、おおよそのところはわかるかもしれない。
https://vimeo.com/292655974

一言で言うと「スナップ撮影に特化した、高機能コンパクトカメラ」なのだけれど、それ以上に、ユーザーをGRist と呼び、商品名を冠したイベントが行われるなど、プロ、アマ問わず、コアなファンを有するマニアックなカメラなのだ。
私は、4年ほど前からのユーザーで、まだ新参者だけれど、初めてイベントの熱気に触れ、GRに出会えてよかった!と思った。
いや、そもそも写真をやっていてよかったと改めて思い、その流れで、写真との関わりについて振り返ってみることにした。
写真歴というほどのことはないので、これまで使ったカメラについて、順を追って書いてみようと思う。


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初めてカメラを買ったのは、初めての海外旅行に持っていくためだった。
Konica のコンパクトカメラ、としか覚えていなかったけれど、ネットで調べてみると、中古カメラ専門店のサイトに詳細が載っていた。

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(サンライズカメラさんのサイトより)https://sunrise-camera.net/blog/65572/

そう、BIG mini という機種だった。確か、2〜3万円だったと思う。

シャッターを押せばいいだけのAFコンパクトカメラは、他にもいろいろあったけれど、これが気に入った一番のポイントは、シンプルですっきりした外観だった。
電源を入れるとレンズが出る仕組みになっていて、電源オフのときはフラットで、とてもコンパクト。
これは、先のサイトによれば、「沈胴式」と言って、当時、画期的なものだったらしく、後のコンパクトカメラにも、この構造が多く使われるようになったそうだ。GR もそうで、実は、「昔、使ってた、あのカメラに形が似てる」というのも、GR に惹かれた理由の一つだったのだ。

ズーム機能はなかったけれど、他のどのカメラよりも、見た目や操作感が断然スマートだったので、ズームはできなくてもいいことにした。
これも、今になって考えてみると、GR の「一貫して単焦点」という潔さを良しと思う感覚に通じる気がする。
「単焦点」という言葉さえ知らない頃から、そうだったのだ。

実際に使ってみて、「ちっちゃいけど、結構、きれいに写るな」と思った。
半押ししてフォーカスロック、くらいはしていたと思うけれど、写真のことなど何も知らない、無邪気な感想だ。
ちなみに、ズームはできなくても、特に問題はなかった。

私が買ったのは、BIG mini BM-301 という機種で、シリーズの3代目。
発売は、1992年。
初の海外旅行に行ったのは、まさにその年で、発売されたばかりだったのだ。
シリーズの中でも完成度が高く、あのアラーキー氏も使っていたのだとか。

ところで、アラーキー氏と言えば、実は、一度、会ったことがある。
と言っても、道ですれ違っただけなのだけれど、それも思えば、この頃のことだ。
当時、六本木のデザイン事務所に勤めていて、毎日、六本木通りを行き来していた。その時も、オフィスから駅に向かう途中で、向こうから歩いてくる、よれっとしたコートを着たヒゲのおじさんを見て、「アラーキーだ!」と、すぐわかった。
重そうなショルダーバッグを、肩に掛けていた。
あの中に、あのカメラも入っていたかもしれないなと思うと、ちょっと楽しい。

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さて、初の海外旅行先は、インドネシア、バリ島だった。
その時に撮った写真を見返してみると、まあ、何の変哲もない「旅の思い出」だ。
作品として写真を撮ろうという意図はもとより、「スナップ」を撮ろうという意識もなかった。
ただただ、初の海外旅行を、ことごとく記録しておきたかったらしい。
空港の様子、車窓から見える風景、ホテルの外観、内装。
ホテルの従業員、街の人々。食べた物、飲んだ物、買った物。
あとは、行った先々で、同行した友人と、お互いを撮り合っている。

その中で、わずかながら、スナップの「予兆」みたいなものはある。

バリでは、ヒルトンホテルに泊まり、着いた初日は、南国情緒あふれる高級な雰囲気に感動し、はしゃいで、外観や館内の設えをたくさん撮った。
ホテルの男性スタッフたちが、サロンという、スカートのような腰布を身につけているのも、物珍しかった。

そんな高揚も少し落ち着いた、三日目の夕方。
暇な時間帯だったのだろうか、ロビーに居る若いスタッフたちが、手持ち無沙汰な様子で並んで立っているのがおもしろくて、撮った。

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長く落ちた西陽が、眠いような、気怠い空気を醸し出していたのを覚えている。
よく見ると、彼らは、日差しを避けていたのだろう、皆、柱の影の上に立っている。
プログラム撮影しかできないし、当時はそんな知識もないのだけれど、今から見ると、露出を下げて、西陽の色がちゃんと出ていれば、ちょっといい写真になったかも、と思う。

ウブドという山間の町にも行き、友人と二人で、のんびりと散策した。
脇道に目をやると、子供を横抱きにした女性の後ろ姿が見えた。
何となく、いいなと思い、咄嗟にカメラを向け、シャッターを切った。

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今なら、右側の建物をもう少し多く入れ、女性が中心になるように撮るだろう。
この時はそんな余裕はないし、そもそも、そこまでの意図もなかったと思う。
抱かれた男の子がこちらに視線を向けてくれているのは、実に、偶然の賜物だ。

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このカメラは、今はもう、手元にない。
長らく使わないまま放っているうち、電池の液漏れか何かで、故障していた。
母から、友達と旅行に行くから貸してくれと言われ、久しぶりに取り出してみて、気づいた。
その時、修理の問い合わせをするのを面倒がって、母に責められたという経緯がある。
メーカーに問い合わせると、機種が古いとのことで、修理代がかなり高かった。
買ってから10数年は経っていたし、母とも相談して、修理はしないことにした。
結局、時間もなく、その頃はお金もなく、使い捨てカメラを買って持たせた。
母がいなくなった今、「あの時、こうしてあげればよかった」という後悔は幾つかあるけれど、これもその一つだ。
友人と旅行に行くなど、滅多にないことだったのに。

そういう苦い記憶がついてしまったのもあり、そのカメラは処分した。
今回、結構いいカメラだったと知って、置いておけばよかったかなとも思ったけれど、良きにつけ悪しきにつけ、思い出のこもった物を残しておくのはキリがない。
それに、物がなくなっても、記憶は消えない。
カメラなら、撮った写真が残るのはもちろん、操作感も手に残る。
電源を入れると、GRと同じように、レンズが静かに出てくる感覚を思い出す。

BIG mini は、その名のとおり、コンパクトなボディに優れた機能を備え、スナップの愉しみを垣間見せてくれた。
私にとっては、言わば、GR のエントリー機のようなカメラだったのだ。

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