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受け入れるということ


この1週間、色んな人に話を聞いて、色んな意見を貰った。MBTIによると、人間のタイプは16種類(?)に分けられるらしいけど、本当にそれは分類が出来るってだけで、人それぞれ考えていることも何かが起きた時にどう動くのかも全部違くて、全部違う、の中に私も居て、結局周りの人間の話を全く参考にせずに自分がしたいと思ったことだけをして生きている。

今まで確立されていた、絶対、の中に私が居なくなって、私もそれを求めてはいけなくなって、その余白が心地好いとなんて全く思わず、その余白の侘しさを常々実感しながら生きている。求めすぎていたなあ、なんて後悔するにはもう遅くて、「後悔するな、と思ったことは口に出してはいけないよ、」と父親から言われた言葉がチクチクと心を刺す。

そんなこと、誰にも教わっていない。小学校でも、中学校でも、高校でも、大学でも、そんなことは誰にも教わらなかった。私が生活をしていく中で実感して身に付けていくしかなかった。

リビングのソファで昼寝をしている父の顔を見ながら、人間としての器の大きさは経験に基づくものだと思った。大人はすぐ諦める、と思っていたけれど、それは諦めじゃなくて受け入れることだと学んだ。

器というものは生まれ持って決まっているものではなくて、楽しい気持ち、悲しい気持ち、苦しい気持ち、全部味わってきたから自然と寛大になっていくもので、23歳ぽっちでそんな深く大きな器を携えているわけもなく、私がそう感じている同世代の人間はきっと人生2周目なんだと思います。人生2周目の人間に勝てるわけが無いです。

夜が悲しくなるのは、誰かが定めた摂理なのでしょうか。私は悲しくならないために今日も寝ます。たっぷり8時間寝てやります。

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