ファインダーは覗けないけれど
私は君に求めすぎてしまったのかもしれないね。
”恋人”って響きに、固定概念からか何故か友人よりも特別感を抱いてしまっていたけれど、人によってはそんなことは無くて、私は何かのプラスの要素のひとつでしかなくて。そんな価値観や考え方の違いが社会人になると顕著になってすれ違うことが多くなる。
思い込みから、今まで”頼る”という言葉で済まされていたものが、そんな綺麗なものでは片付けられなくなって、段々依存に変わっていって何かマイナスなことが起こる度に口にしては、私にとって何か発散できたつもりでいても、相手にとっては何かが溜まっていく一方で、そんなことも頭の片隅に置いておけなくなった今の私に嫌気が刺す。
私の仕事場は同年代が極めて少ない。何かコミュニケーションを取ろうとしても世代の差を感じるばかりで、唯一の休みも私の周りは暦通りの友人ばかりだから、なんだか声を掛けるのを躊躇してしまって、勝手に孤独を感じてしまっていた6月。でも私が窮地に立たされた時、私のSOSにみんなが反応してくれて、平日休みばかりだった私の予定は全て埋まった。こんな時にしか気付けない人望に情けなさを感じるばかりだけれど、心の底から有難くて、孤独から救われたような気がした。
仕事のストレス発散に行っていたUFOキャッチャーが、逆に私のストレスになり始めてきた頃、私は思い切ってカメラを購入したのだけれど、やっぱり自分自身の感性に身を任せて無我夢中でシャッターを切るのは楽しくて、しばらくはこちらの趣味にシフト出来そう。
何もかも不器用だった6月。
これからもきっと不器用なりにその時その時で立ち止まって考えるのだろうけれど、ひとつずつ自分で身近な幸せに気付けたらいいね、なんて思っています。
休みを生き甲斐に仕事をしているけれど、それが今の幸せ。
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