好い加減
私は今も尚、大学生の時に使っていたパソコンを使ってnoteを記している。
適当に割り振られたパスワードは四年間も使っていれば体が勝手に覚えてくれていて、電源を付ければ指がパスワードを打ち込んでくれる。
一番大切なものが手に入った時、私の大切にしていた何かがいくつか手元から無くなっていくことに気が付いた今年の夏。
情けない、情けない、哀れだと思っていても、そんな私が好きだったし好きだったから許せた。
自分を物差しとして相手をはかる人を心底軽蔑する。想像力に欠けているな、と思う。
人それぞれの生活があって、それによって考え方の思考も勿論人によって異なっている。自分がこう生きてきたから、自分がこう言われてきたから、を人に押し付けるのは一種のエゴだと思う。例え、それがその人にとってよかれと思ってやったことでも、良かれと思って行動していること自体がエゴだということにそういう人たちはいい加減気付いた方が良い。
自分が好きなことをしたら良い。
私が人に相談している時は大抵、自分の中での答えが決まっている。周りに背中を押してもらおうと要求するけれど、結局自分の求めている答えが返ってこないと肩を落とすし、一方で自分が求めていた答えが返ってくるとひとりで勝手に納得する。人間って都合が宜しいです、本当に。
人に相談するときは自分の中で何がしたいかって大抵決まっているもんだと思っている。私が関わっている同性の多くは特に。だから、私は今後相手を左右する選択を求められたときはきっと自分がしたいことをしたらいいんじゃない、と答える。
もごもごしてる暇があるなら素直になりなさい、
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