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捕らぬ狸の皮算用

以前投稿していた記事を推敲して上げ直しました!


皆さんは「人権作文」を一度は書いたことがあるのではないだろうか。

おそらく皆さんの記憶には「期待に満ちた夏休みに暗い影を落とす宿敵」としてドカンと居座っているだろう。

しかし私はというとそれに特段怯えることなく、好敵手と感じているまであった。

当時ドッヂボールで食っていこうと意気揚々だった私に一方的にライバル認定された人権作文の気持ちを思うとたまったものではない。

人権作文を書き終えたあとは、しばし恍惚タイムである。
何度も読み返しては惚れ惚れするのだから、少しどころかかなり怖い。

夏休み明けには「優秀者として体育館の壇上で読み上げさせられるのではないか」といささか緊張したおもつきで登校するのは毎年恒例だった。

世界杞憂選手権があれば日本代表の座は確実といったところであろう。
ドッヂボール日本代表ではなくてそっちを目指せとあの頃の私にゲンコツを食らわせたい。

そんな図々しい思い出を振り返っていると、「捕らぬ狸の皮算用」という慣用句が思い浮かんだ。

「捕らぬ狸の皮算用」といえば、手に入るかどうかもわからない不確かなものに期待して、あれこれ計画を練ることのたとえである。

私の筋金入りの皮算用癖を考慮するに、時代が時代なら皮の売買で財を成していたかもしれない。

しかしこれは悪いことばかりではなかったように思う。

就活で「挫折経験はありますか?」と聞かれ、「ないです」と答えてしまうぐらいには図太くどっこい生きてきたのだ。

挫折や悩みなどきっと死ぬ間際に「あった」と分かるのだ。
ならば今この瞬間は全速前進あるのみだ!

さて、恍惚タイムに浸るとしよう。

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