mao

散らかっていますが、よかったら上がってってください。 歌ったり絵を描いたり言葉を紡いだ…

mao

散らかっていますが、よかったら上がってってください。 歌ったり絵を描いたり言葉を紡いだりして生きています。 肩書きは何もありません。

マガジン

  • HOBO FU-MAJIME

    不まじめにひと匙のまじめを加えた風味です

  • SUKOSHI MAJIME

    まじめっぽいやつです

最近の記事

芸術と祝祭

芸術や創作とは、一体何のためにあるのだろう。 その手で試作を繰り返し、より洗練された高みを追求することに、一体どんな意味があるのだろう。 自己表現、承認欲求、成功願望、破壊衝動、愛情表現、コミュニケーションツール、…… すべて当てはまるようでいて、どれも本質ではないような気がする。 ・なぜ創るのか? 動物は生命維持のために活動する。 水や食糧を求めて移動し、睡眠をとって次の活動に備え、また動き出す。 人間は文明と科学の発展により、こうした生きるための活動のすべてを、ほと

    • 「俺」でも「私」でもない、でもどちらでもある。

      恥ずべき過去だと思って封印していたので自分でも忘れていたくらいなのだが、私には一人称が「俺」だった時期がある。 私の中にある〈性別〉の話。 私には、5つ離れた兄がいる。 幼い頃はよく兄にいじめられていた。 いとこ(2つ上と同い年の兄弟)が家に来ると、 「お前は女だから」と私だけいつも仲間はずれにされた。 運動が苦手で体力もなく、人見知りで恥ずかしがり屋だった私は、すぐ泣くので兄たちからよくバカにされていた。 母に泣きつく私をよそに、怪我も厭わず楽しそうに取っ組み合う兄

      • 同性婚、というか。

        これはあくまで一個人の妄想であり、法律や政治、制度に関しては特に触れていないので、そのつもりで読んでいただければ幸いです。 同性婚について、もちろん否定する理由もないのだが、いまいち自分ごととして捉えていなかった。 そもそも、異性間の結婚についてすらあまり自分ごとだと思っていなかった。 結婚について「いつかするもの」という意識があまりなかったのだ。 むしろ、自分の性について言語化することができるようになるにつれ、その意識は年々薄れてきているようにさえ思う。 私は女性だ

        • 選択的夫婦別姓、というか。

          これはあくまで一個人の妄想であり、法律や政治、制度に関しては特に触れていないので、そのつもりで読んでいただければ幸いです。 私は、かねてから自分の名字が気に入っていない。ちなみに名前もしっくりきていない。 服や髪型、部屋のインテリアなんかはその時の気分のよって自分で選んでテイストを決めることができるが、名字も名前も気づいた時にはもう決まっている。 赤ちゃんの頃とは顔も体も随分変わってしまったのに、氏名だけがそのままなんだから、しっくりこないのは当然だと思っている。 だか

        芸術と祝祭

        マガジン

        • HOBO FU-MAJIME
          3本
        • SUKOSHI MAJIME
          6本

        記事

          やわらかな希死念慮

          いつだったか、 「女性は30歳前後になると、本能的に子どもを産みたいと焦りだすらしいよ」 と聞いたことがある。 「本当に好きな人と出逢ったら、きっと結婚したいとか、子どもが欲しいって思うようになるよ」 と言われたこともあった。 女性として生まれ、独身のままあと数か月で30歳を迎えるが、このごろ頻りに浮かぶのは何かを残したいという焦りや熱い恋慕どころか、 やわらかな希死念慮ばかりだ。 人はひとりで生きていくにはあまりにもか弱い。 しかし生命はひとりにひとつと相場が決まって

          やわらかな希死念慮

          死ぬまで、「正解」したくない。

          アパレル販売の仕事を辞めたあと、数人の仲間でコーヒーとカレーの小さな店を開業。 知り合いがデザインしたオリジナルの服や雑貨を店の一角で取り扱い、 日曜の夜は店を貸切にして旧友たちとDJイベントを開催して楽しむ日々… すみません、私の話ではありません。 私がアパレル販売員として働いていた数年前、同僚づてによく聞いた話です。 私自身はというと、こういう集まりがとても苦手です。 自分も目立たないながらモノづくりを続けている身として、もちろん仕事を得る上で人脈が大切だというのは重

          死ぬまで、「正解」したくない。

          だれかの幸せを願うということ

          友達や同僚、家族、恋人など、大切な人が思い悩んでいるのを見たとき、「幸せになってほしい」と願ったことがあります。 だれかの疲れ果てた顔や思い悩んでいる様子を見ると、自分にまで憂鬱な気分が伝染してくるように感じることがあります。相手が自分の近しい人ならばなおさらでしょう。 自分の周りの人がいつも機嫌良くいてくれれば、きっと自分も良い気分で過ごせます。 しかしこの「だれかの幸せを願う」という行為が、なんだか無責任で押しつけがましいように感じて、ここのところ少しモヤモヤしていま

          だれかの幸せを願うということ

          ことばとうつわ

          私は本をほとんど読みません。 装丁を見るのは好きなので、興味本位で手にとって中身を見てみたりはしますが、2秒で閉じて棚に戻します。実に迷惑な客です。 小説はあらすじで満足します。もしくは、最後のページから読みます。 本が好きな人に言うと怒られます。当然です。 なぜ本を読まなくなったのかは、また別の機会にお話するとして。 先日書店に行った際、たまたま、エッセイ本のコーナーが目に入りました。 タレントやお笑い芸人、YouTuber、アイドル、飲食店経営者や僧侶など、多種多様な人

          ことばとうつわ

          何者でもない曖昧な存在

          苦手なこと:自己紹介。 小学生の頃、プロフィール帳というものが流行りました。 名前、生年月日、血液型、あだ名、趣味特技、好きな食べ物、好きな芸能人…など、空欄を埋めて交換し合い、集めた友達の「プロフ」をアドレス帳のようにファイリングするというもの。 これが本当に苦手でした。 大人になった今でも、自己紹介は極力、したくありません。 昔から、好きなものも、熱中していることも、流動的でたくさんあって、たったひとつだけを代表して挙げるというのがなかなかできません。そして、なんとか

          何者でもない曖昧な存在

          大いなる海とフィクションと

          唐突に、海が恋しくなるときがあります。 海が見えるところで生まれ育ったわけではありません。 甲殻類アレルギー持ちなので、食べ物も海の幸より山の幸の方が好きです。 なのに、なぜか、時折無性に海を眺めたくなるのです。 幼少期に初めて行った海水浴場で、無数のクラゲに怯えて父にしがみついたまま泣いていました。これが、わたしにとっての、海に纏わる最古の記憶。 「クラゲに刺されて死ぬかもしれない」 「海の底へ引きずり込まれるかもしれない」 幼いわたしに強烈に残った海の印象は、未知への

          大いなる海とフィクションと