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煩わしさも引き受けて、地域の中で、他者と楽しく生きる


『あそびの生まれる場所-「お客様」時代の公共マネジメント』 西川正

副題の素晴らしいこの本は、2023年に読んだ本のなかで、一番私のあり方を変えてくれた本。あそびには興味のない人でも、"市民""民主主義""地域""つながり""居場所"みたいなキーワードが気になったら、手に取ってみてほしい。



0歳児を抱えて時間を持て余し、大人も子どもも人と交流できるところ、遊べる場所を求めて「子ども支援」と名のつく場に足を運んでいた頃。
"居心地が悪い、ここが嫌だ"などと、家に帰っては、パートナーに不満をもらしていた。当時の私は、「手放しに、0歳児の育児で大変な私を助けてくれて楽にしてくれる、お客様であれる場所」を求めていたと思う。

でも、そのあり方が、もう、間違っていたのだなあ、と。

子どもは人の中で育つもの。それは大人も同じ。その、育ち合いの営みにおいて、お客様であれる場所を探すことや、子ども支援の場を消費者として選ぶ姿勢自体が違っていたのだと、頭をかち割られた。

それでそこからどうしたの?と聞かれれば、別に特別なことはなにもしていない。
たとえば、なんらかの場を立ち上げて運営する、なんていう余力は今の私にはないし、継続する自信もない。

でも意識して、地域の人と交流をするようになった。

当たり前と言われれば当たり前なのかもしれない。
ただ、目があったら誰とでも挨拶をする。立ち話をする。立ち話をする時間がないときもつっけんどんにせず、「ごめんなさいー!今日急いでてー!」なんて言いながら気持ち小走りに去ってみる。笑

公園で遊ぶときには、みんなが心地よい公園を想像しながら、ちょっぴりだけ、立ち回りを意識している。

たとえば、大人の私も目一杯楽しむ。
こちらを気にしている人がいたら声をかけてお誘いしてみる。
話したそうにしている人であれば、どんな話であれ、いったん聞いてみる。
異年齢・同年代関わらず子どもたち同士の関わり合いを大事にして、まずは止めずに付かず離れず見守ってみる。
積極的に、自分の子以外の子と遊んでみる。(すると手の空いた大人が他の子をみてくれるものなんです)
おやつは余分に用意して、必ず原材料がわかるようにしておく。食べられないものがないか保護者に確認したら、みんなに分けてあげられる。
タオルと靴下とビニール袋は、人にあげても困らないくらい余分に持ち歩く。

先日は泥遊びをしている子たちを見守っている親たちは、90代だというおばあさんの戦争体験を聞いていた。
その奥で初めましてのおじいさんが、時折手を振りながらニコニコされていた。
すぐそばで幼稚園帰りの子たちがなぜか猛ダッシュを繰り返していて、早いねーなんて言っていたら、
ベンチで1人でゲームをしていた小学生らしき子も猛ダッシュで目の前を横切り始めるものだから、あんまりに可愛くて笑ってしまった。ふふ。笑

カオス。でも楽しくて、たくさん笑っている。



思えばこの土地なら人と関わりながらいきていけると思える土台はあった、と思う。
妊娠中、気にかけてもらった記憶がたくさんある。パン屋に行けば"頑張ってください"とチョコパンをおまけしてくれて、八百屋にいけば柿をおまけしてくれて、カフェに行けば聞かずとも「すべてのメニューをデカフェにできますよ」と言ってもらえる。

赤ちゃん連れで歩いていると、優しい目でこちらをみてくれているご高齢の方々がいることには気がついていた。

でも、自分から積極的に挨拶するようになったら、たくさんの人が"見知らぬ人"から"顔見知りの人"になった。
我が家の小さな人は、スーパーからの帰り道だけでも、たくさんの人に話しかけてもらって遊んでもらい、ときに抱っこしてもらったり、ベビーカーを押してもらったり(笑)しながら帰っている。

コンビニに行けば店員さんたちが遊んでくれる。近所のコンビニはネパールご出身の方がたくさん働いているのだけれど、みんな優しい。トレードマークのようになっている帽子がピーマンに見えるそうで、ピーマンちゃんといわれている。(笑)
一番近いスーパーマーケットもいつもほんの少しの会話をする店員さんがいて、それだけで楽しい。

気がつけば、向こうから声をかけてくれることも増えたように思う。"先日〇〇で会いましたよねー♩"なんて、犬を連れて散歩中の方に声をかけてもらい、ついでに小さな人は犬と遊ばせてもらい、その様子を見ながら、ランニング中の人がニコニコと手を振りながら走り去る。

あまりにやさしい世界に、時折、びっくりする。ああこういう世界が見たかったと、よく思う。
随分と生きやすくなってきて、この土地がますます好きになった。



どろんこ遊びをしていて出会った人は「1人だと勇気がいるけれど、みんなでやると楽しめますね」と言っていた。

昨日、赤ちゃんを抱っこしながら歩いているお母さんと思われる方は、疲れているように見えたから声をかけるか悩んだ。でも、挨拶にこたえるかどうかは相手に委ねればよいのだからと、可愛いですね〜と声をかけてみた。すると、「初めて声をかけてもらいました😢」と喜んでいた。そういえば私も心細かったな、マンションの人に声をかけてもらえて嬉しかったことがあったな、と思い出した。

1人でいたい人もいるし、誰だって話しかけてほしくない時もあるものだから、無遠慮すぎないか悩むこともあるけれど、でも、声をかけて返答するか、立ち止まるかは相手次第。押し付けない気持ちがあれば、不快を与えることなくコミュニケーションをとれるのではないかな、と思う。



当たり前だけれど、地域というのは文字の如く"いろんな人が住む場所"。日本は高級マンションの裏のアパートで、日々の暮らしがやっと、という人が生きている、なんてことも普通。生活環境も、価値観も異なる人たちが、同じ土地で暮らしている。

だからこそ、関わりを深めていくほど、煩わしさを感じることも多いのだと思う。でも、その煩わしさもちゃんと背負って、その上で人と暮らしていく楽しさを感じて生きていきたい。



余談。帰省中にすみだ水族館に行ったあと、スカイツリーのふもと?の広場で水たまりを発見した我が家の一歳の人は、「我が遊び場」と言わんばかりにあっという間に飛び込んだ。笑(これはさすがに私も想定外!やられた…まじか…と思ってしまったのは内緒。)水たまりの中で楽しそうにしている人をみて、最初に楽しげに声をかけてくれたのは、やっぱり散歩中?らしきおばあさんだった。
実家の近所の公園で遊んでいるときは、小学生たちが一緒に遊んでくれた。こちらを気にして遠くから可愛い〜と言ってくれる子に、遊んでくれる?と声をかけたら、10人近く集まってきて面白かった。

私の地域交流も、まずはご高齢の方、次に小学生。だんだんと、同世代の方。法則性がある気がする(笑)

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