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祖父が死んだ

元首相が奈良で衝撃的な事件に巻き込まれたその日、私は神戸にいた。
その前々日に受けた祖父の訃報で、火葬に参列するためだった。

夜、臨終の報せを父から受けた瞬間は、定時は過ぎていたが職場にいて、まだ仕事をしていた。
身内が死んでも、目の前にあるタスクを終わらせないといけない事実は変わらない。そう思うと仕事に集中できたが、悲しみの感情をコントロールできる自分は、社会人として当たり前のことをしているとしても、寂しい人間だなとそのこと自体を少し悲しく思った。

祖父と最後に対面で会ったのは、新型コロナウイルスの蔓延により県を跨いでの移動や自宅からの外出さえも禁止されるなど予想もできなかった、3年以上も前のことだった。
10数年前に倒れた脳梗塞で一命を取り留め、半身不随から当時歩行や運転ができるまで奇跡的に回復した祖父は、生命力に溢れた人だった。倒れるより以前、60代ではきっと異例であろう縄跳びの二重跳びができ、ゴルフが好きで、写真を撮るのが大好きだった。
多数の罹患を経て、体調がもう良くならないことはわかっていながらも、1ヶ月半前には祖父の誕生日を祝うためにかけた電話ではっきりと会話をしていた。だから、こんなに早くその瞬間が来るなんて、夢にも思わなかった。

現実味がなかった祖父の死は、安置所で対面することで、触れた頬がとても冷たいことで、一気に思い知ることになる。
記憶の中のどの姿よりも痩せこけた顔は、でもとても奇麗で、安らかな表情をしていた。
死に顔が奇麗であることは、とても珍しいらしい。想像でしかなく、実際のところはわからないが、きっと苦しまずに息を引き取ったのであれば、せめてもの救いだと思った。

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