たたかう

お久しぶりです。ほんとうに、いつ戻ろうかってずっと考えていたんですが、この辺りでそろそろ文字を書くことを再開してもいいかな〜と思い、再開させていただきました。

日記なので、「ああ…このひと、こんなことがあったんだな最近」と、まあ、そんな感じで読んでください。


前回の記事で、家族のお話をしました。

おばあちゃんが危篤かも、という日記を綴りましたが、この記事を出した少しあとにこの世を去ってしまいました。

父方の祖母の死。
うちは、父と母が離婚しているので、孫である私が長男である父を、そばで支えなければなりません。

とはいえ、私も突然の悲しい知らせに驚き、深く落ち込みました。私より何倍も辛いのは、父や、その姉弟なんだろうから、せめて私はしっかりとした姿勢で最期を見送りたいと思いました。


その矢先の出来事でした。

なんだかやけに体が疲れるな…と感じ、ゆっくりお風呂に浸かったり、栄養ドリンクを飲んで一晩ゆっくり休もうとしたのですが、寝付けず、「まさか…?」と思って体温を測ると、38度7分の高熱を出していました。

恐ろしかったのが、熱特有の「頭がもんもんする」だとか、カゼでよくある喉の痛みや咳などの他症状が一切なかったということです。

ここからが大地獄。

高熱を出したのは夜だったので、病院もやっておらず、自宅にある解熱剤を飲みましたが、一切効かずに撃沈。

最高で39.9℃の発熱がありました。死ぬかと思った

布団の中で頭によぎるのは「コロナ」の三文字。
20年間生きてきて最も不安な夜でした。



次の日行った検査で、新型コロナウイルス陽性を確認し、家族はそれぞれ別の生活を送ることになったのです。

私は宿泊療養を受けることになり、母と祖母は自宅の別室で各々の生活を送りました。
同じリビングで同じ食事を囲むことが「当たり前」だと思っていた、コロナ以前の私に喝を入れたくなりました。今でもそう思います。


療養期間中、ずっと亡くなった祖母のことや、私の親族のことを思って、心を痛めていました。
祖母の最期を見送れなかったこと、きっと私は一生後悔して生きていくのでしょう。
一生、というのは、いくら歳を重ねたとしても何でもない時にふと思い出すということ。
後悔は先に立たないので、あまりしないように生きる方ですが、今回のことだけはずっと後悔していきます。

そんな後悔を抱えながら宿泊療養を終え、私は今はもうとっくに元気になっています。



自宅に帰り、ある程度日にちを置いた上で、祖母にお線香をあげに行ったのですが、遺影を見たときに初めて「ああ、おばあちゃんは亡くなっちゃったんだな」と感じました。

それまでは、なんというか、現実味を感じなかったのです。(今もまだ病院で眠っているのではないかと思うほどですから、この状況を理解するには、あと少し時間が必要です。)

けど、私の見たことのない写真が黒いふちどりをされて置いてあるのを見たら、誰だってその現実を受け入れざるを得ないでしょう。

手を合わせ、とにかく「最期の顔を見れなくて、ごめんなさい」と謝りました。


今はただ、つらつらと文字を書いているだけなので、何が言いたいのかもいまいちまとまっていませんが、人生は本当に残酷だということだけは、よくわかりました。

ただ、ここで挫けるわけにはいかない。

私は続いていくから、このまままっすぐにいつも通りの生活を送りたいと思っています。


疫病との闘い、身近な人との別れ、人の温かみ。

そういったものを、文字に起こせるように、考えをまとめて、もう一度来週ここに戻ってきます。


みなさんも、お体に気をつけて。
健康が一番ですからね!


それでは、おやすみなさい。

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