良い終わりのために、最悪の今を生きる

物事の終わりの理想と言うのは、「後にも先にもこれ以上のものはなかった」と感じれることだと思う。
物事の終わりの理想と言うのは、申し訳ないと思う気持ちより、感謝の気持ちでいっぱいであることだと思う。

人生も同じだ。

「終活」という言葉が定着し、人生の終わりと前向きに向き合うことは悲しいことではなく、必要なことなのだと多くの人が認識しているであろう。
しかし、人生というのは何があるか分からない。事故で死んでしまったり、突然の病に倒れてもう二度と目を覚まさなくなるかもしれない。



今、この瞬間には、文句ばかりが募る。

世の中は、納得のいかないことや、乗り気になれないことばかりで、私の気持ちなどひとつも理解されないが、それでも最近は「ちゃんと生きてみよう」と思える。

それはまさに「良い終わりのために」だ。

本質的な意味での「終わり(死)」と「始まり(生)」とは違う、ものの例えのような「終わり」と「始まり」があって、それらを混同して考えてしまうことは、心がすごく疲れている状態なんだろうなと思う。

今、その疲れから回復した私は、新しく生まれ変わり、始まることができた。
だから、良い最期のためになら、たとえ周りからどう思われようと、思い切って辛い場面を休んだりスキップして過ごす。

最悪の今を乗り切る「強さ」というのは、我慢や忍耐強さとかではなくて、自分の声を自分で聞き取れる力のある人だと思う。

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