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正気は凶気

いよいよ既存の組織が崩壊してきた。今までのような常識が全く通用しない現実がすぐそこまで来ている。本当に目の前だ。頭では分かってた。だけど行動に移すのは難しい。なんだかんだ言って私は人生の王道を歩いて来たからだ。

誰かが決めた人生の設計図。大学に行って会社に就職して恋人を作って30代になる前に結婚して子供を作ってできたらマイホームを建てる。定年まで働いてその後は年金で暮らしていく。この設計図。なんか今の時代に聞くと「そんな暮らしあるわきゃねーだろ」と叫びたくなる。でも私はギリギリその設計図に滑り込んだ。

子供の時はいじめられっ子で学校が嫌いだった。貧血が原因でしょっちゅう保健室にいた。朝から具合が悪かったのに親に休ませてもらえなかった。皆勤賞というただの奴隷精神植え付け装置のために行かされたのだ。1日も休まず学校に行くことになんの意味があるのだろう。体調が悪ければ休むという当たり前が子供の頃、許されなかった。

成績が全てを占めるようになる。成績が良ければ認められ悪ければ落ちていくだけ。成績の悪さは自己責任でお前が勉強しないのが悪いと一蹴して終わる。学校は勉強するとこだが授業が面白かった試しはない。勉強嫌いにさせたのは先生なのに、勉強しないことを怒られる。だから早く大人になりたかった。宿題のない大人に。授業中、窓の外ばかり見てた気がする。この狭い空間の外はどれだけ広いのか。

小学校の頃からいじめられてた。原因は分からない。のけ者を作ることでしか自分を優勢に保てないやつらの仕業。でも分からなくない。自己肯定感がないんだ。誰もが自分を自愛できなかった。親にも先生にも友達にも無視された子供の魂はどこかへ飛んでってどこに行ったのか。魂が見つからないまま学校を卒業する。待ちに待った大人の世界。だけどなんの武器も持たずに出ていったその世界は、学校よりも辛かった。

自分は何者でもないと気付かされる。今までは学生と言えば良かったのに、卒業して就職に失敗すると肩書きがなくなって個人名しかなくなる。飛び抜けた才能がなければ、面接で個人名を言っただけでは通じない。有名な学校を卒業できてなければ、何か資格がなければ、とにかく何かが人より飛び抜けてなければ“私”はこの世に存在すらしていないのだ。

命の重さは地球より重い みたいなことを言ってた気がする。本当にそうなのか?大人は綺麗事しか言わない。ずっとそれを信じてた子供時代。急にその綺麗事が通用しない社会に蹴り出されて何もできないのか!とどヤされる。

何もできない人は生きてはいけないんだなと思う。思わされるようにできている。そういう世の中なのに、自殺するとなぜ命をたったのだろうと悩んで悼む。でもそれはただのポーズで本当は自殺するやつが弱いだけだと思っている。

若い時の苦労は買ってでもしろ この言葉の恐ろしさは、苦労した人が成功してることにある。でもその成功は相対的だ。幸せと成功は違う。資本主義の成功は金で金持ちが幸せと勘違いしてしまう。資本主義のルール上、金はあった方がいいけど、金のために自殺する世の中は間違っている。間違っていると誰もが分かっているのに、解決できない。いや解決したくないのだ。

誰かが決めた設計図。私は結婚と出産までたどり着いた。自分が望んだ人生。

本当に?

子供の時にどこかに飛んで行った魂が自分の子供に宿って私を責める。

違うよね?




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