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天皇杯

2008年あたりからヴァンフォーレサポをしてまして。まあ、ありがちな夫に誘われたからというきっかけでして。
それまで私は(ほぼ今も)スポーツをやるのも見るのも苦手なタイプでして。日韓ワールドカップでさえ盛り上がらなかった私はサッカーのルールもよく分からず「オフサイド」って何?っていうサッカーど素人でした。
地元にプロサッカーチームがあることは知ってはいましたが、カッコいいイメージがなく(とても小さなチームなので)スタジアムも専用じゃない(言葉を選んで)質素なものだったので期待せず夫についていきました。

階段を上がりピッチが隙間から見えてきたとき、なぜだか興奮したのを今でも覚えてます。あの感覚はなんだろう。そのあとは熱気にのまれて自然とサポーターになっていました。
あの頃好きだった選手は藤田健。いくら素行が悪くてもサポの応援に応えてくれなくても甲府にはなくてはならない存在でした。今思うとその彼と裏表の存在として臣がいるような気がします。素行が改善しない藤田はついに甲府にきられます。そんな2010年のキャプテンは山本英臣でした。臣はこのとき「このメンバーで昇格できたことを覚えておいてください」と言いました。きっと(色々あっても)長く甲府に貢献した藤田のことを言っていたのだろうと勝手に思っています。
昇格したもののすぐに降格し藤田健をきったのは間違いだったのではないかと、選手とフロントの間で摩擦が起きます。
2012年、城福監督が就任。勝てば情熱的に喜ぶ姿にサポーターも惹かれ応援にますます熱がこもり気がつけば24戦無敗で初のJ2優勝まで導いてくれました。
とはいえ厳しいJ1残留の壁。いくらいい選手・いい監督がいても財政が厳しければ残留は夢物語です。残念ながら山梨はヴァンフォーレに投資をしてくれず、J1に上がってもまともな練習場がありませんでした。それに嫌気がさしたのでしょう(勝手に思ってます)みんな大好き城福監督は自ら甲府を退きました。その年も見事残留させた退任セレモニーはすべての席が青赤に染まり「監督はいつも追われるように解任させられるがこんな風に感謝されて退任できることはない。ありがとう」と言って甲府を去っていきました。
城福監督のいないJ1。それでもなんとかヴァンフォーレ史上最長の5年残留できました。その5年の間に何度か監督が変わりJ1最後の年が達磨監督でした。甲府は達磨監督に変わった年、J2に降格するのです。

省略

紆余曲折ありそれからJ1に上がれてません。
Jリーグは地域密着が基本です。そしてJ2はJ1より一層小さな資金源で賄うことになります。その中でも甲府は特に財政が厳しく地域密着とはいえ、町全体が青色に染まる場所はあまりありません。
そして今季再び達磨監督になり今までなかったJ3に降格してしまうんじゃないかという危機と共にまさかの天皇杯を勝ち上がりました。

もちろん現地に行った劇的すぎる決勝戦は割愛

今はキャプテンではない臣が優勝杯を掲げ金色に舞う紙吹雪の中で歓喜するシーンはこの先何度も見返すでしょう。

あきらめない
自信
やってみなきゃ分からない

この言葉のどれ一つも私の人生の中にない言葉ですが、優勝を決めて天皇杯を制覇した秘訣を臣と河田と長谷川にきいたとき、この言葉が返ってきました。
こんな小さな一度なくなりかけたチームが天皇杯を制することができる。それを目に焼き付けることができたこと。
サポーターとしてだけだけど、あまり好きじゃない信用できないこの3つの言葉を少し信じられるようになりました。

本当にありがとう。
ヴァンフォーレ甲府は山梨の誇りです。
心から。



達磨監督が退任というニュースが届きました。リーグ戦の間はずっと文句言ってたのに天皇杯を勝ち上がる事に達磨監督が好きになるというしょうもない私です。城福監督が言った「監督は逃げるようにチームを去るのが普通だ」という言葉の意味をやっと理解しました。天皇杯優勝してもどことなく寂しそうな目に見えたのは、天皇杯の結果がどうあれ決まっていたことなのでしょうか。
達磨監督本当にありがとうございます。あなたと天皇杯優勝の景色を見れてとても嬉しいです。
あまり良い思い出のないお金もない甲府に再び来てくれてありがとうございました。
心から。


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